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本論の初め(7-1)に戻る



[目次]


はじめに「よく生きるのではなく、単に生きる」(「7-1」に戻る)

「人文科学」

新しい「僧侶階級」

回顧

二世界論

道徳的世界解釈

1、「人生」という哲学の作品

哲学の作品の形式

①ソクラテス型、「魂にかかれた言葉(ロゴス)」

②プラトン型①と③の中間

③アリストテレス型「文字に固定された哲学」

哲学は学問(科学)か芸術か?

ソフィストの時代

魂に書かれた哲学

「棟梁の学」

「存在論」という定義

2、精神革命(ここから7-2)

カントの道徳的世界解釈

精神革命と科学革命の交差点

儒教

孔子とプラトンのルサンチマン

現世否定

ゾロアスター

『ツァラトゥストラはこう言った』という題

現代哲学の対立軸

ナザレのイエス

3、理想主義としての哲学

哲学者ニーチェ

「人類の全発展にたいする良心」

理想主義












2、精神革命 

精神革命

 

この表題「精神革命」とは伊東俊太郎(『比較文明』東京大学出版会)のいう人類の経験した五つの転換点、「1)人類革命、2)農業革命、3)都市革命、4)精神革命、5)科学革命」の四番目から借りたものである。 

 

「人類革命」とは人類と類人猿が共通の祖先から分かれたことを言い、数百万年前の東アフリカでおこった。「農業革命」は一万年ほど前に、「都市革命」は五千年ほど前にいずれも現在の中東地域で最初に起こった。 

 

「精神革命」は、ヤスパースの言う枢軸時代Achsen Zeit(BC800年~BC200年)の出来事をいうが、伊東のいう精神革命は、一世紀のキリスト教と七世紀のイスラムの勃興を含めている。 

 

「科学革命」はバターフィールド(190079)の『近代科学の誕生』The Origins of Modern Science1949)で言われた意味である。ここでいう「科学」と現代の私たちが言っているものは、古代中世にはなかった。1617世紀、西洋の「科学革命」によって誕生したものである。

 

science」という語はあったが、単なる知識という意味であり、現代の科学とは違う。科学という一筋の流れがあり、そこで革命がおこったわけではない。科学革命は産業革命やフランス革命という語とは違う。「産業」あるいは「フランス」は以前からあり、そこで革命が起きた。

 

しかし科学革命では、「科学」(とは近代科学のことである)が誕生したのだ。バターフィールドの著書名は『近代科学の誕生』である。

 

現在の私たちの視点を差し入れて、以前の時代を見てはならない。 

 

バターフィールドは科学革命について「キリスト教出現以来ほかに例を見ない目覚ましい出来事」と言っているが、「キリストの出現」については全く注目されていない。しかし、バターフィールドが古代の精神革命と近代の科学革命を二つの「目覚ましい出来事」と並べて考えている。 

 

「精神革命と科学革命」は人間の思想史で二つのエポックメーキングな出来事である。  すなわち前者で二足歩行する猿は、すべての生物が従う「自然法則」を脱し、人間となった。

 

儒教で人間は「万物の霊長」と言われる。仏教とは、「仏の教え」であるとともに「仏になる教え」でもある。仏とは「悟った人」の意味である。大乗仏教では「一切衆生悉有仏性(すべて生きるものには仏陀になる性質がある)」と言われる。

 

『創世記』126の記述に従えば、人間は「神の似姿(イマゴデイ)」にまで昇格した。

 

そして2000年後の科学革命では、人間が再び「動物になり下がってしまった」。 

 

「コペルニクス以来人間はある斜面に落込んだようだ、――いまや人間は、いよいよ速力をまして中心点から転落してゆく――どこへ?虚無のなかへ?<骨身にしみる自己の虚無>の中へ?・・・  人間はまさに動物に、比喩でもなく割引きも留保もなく動物になり下がってしまった」(『道徳の系譜』Ⅲ25)。

 

ソクラテスの言い方では、古代の精神革命で「単に生きることではなくて、善く生きること」の模範が示された。近代の科学革命以降、「善く生きることでなくて、単に生きること」が重んぜられるようになった。

 

精神革命は、まったく別個に中国、インド、イラン、パレスチナ、ギリシアで起こったにもかかわらず、弱肉強食、適者生存の自然界の法則に反する「道徳」、「反自然」を掲げたのは共通している。

 

現代人から見るといずれも「背後世界論者」、「身体の軽蔑者」、「死の説教者」(三者とも『ツアラツゥストラ』に登場する)のように見える。が、この世には道徳的な秩序があること、インド人の言葉では、「法(ダルマ)」、「保つもの」があるということで一致している。

 

プラトンにとって「世界解釈における根本思想をなすもの」は「善こそがすべての事象を成立させている原理」(藤沢令夫『ギリシア哲学と現代』125㌻岩波新書)でなければならない。 

 

この「道徳的世界解釈」は必然的に「現世否定」、「二世界論」などにたどり着く。現実の世界は必ずしも道徳的ではない。また、現実を否定し、理想の世界を掲げなければならない。

 

 中村元によれば仏陀の生誕年は前463~前383となり、ソクラテス(前469~前399)より6才年下ということになる。西洋の学者は、仏陀の生誕年を中村説より百年ほど前とするのが有力である。すると孔子(前551~前479)とほとんど同時代である。

 

仏教と自由思想家たち(仏教の側から六師外道[ろくしげどう]と言われる)、儒教と諸子百家などとともに精神革命の一つとして世界各地で同時代に起こったもの一つが、古代ギリシアの「哲学」ともいえる。

 

ニーチェにしてみれば哲学者も「聖者の別の種類」(偶像「ある反時代」42)である。 

 

タレス(前624546)からアリストテレス(前384322)まで300年より短い。オリジナルなギリシア哲学は、すっぽり「枢軸時代」に含まれ、「精神革命」の一翼を担っている。 

 

科学とは人の思い込みを論駁し、真の知にたどり着く過程である。ポパーによれば「反証可能性falsifiability(論駁できる可能性があるということ)」が科学と非科学を分ける基準であるという。

 

古代の道徳的世界解釈は信念であり、論駁できない非科学である。 

 

 

カントの道徳的世界解釈

 

カントは近代で「道徳的世界解釈」をしたいちばん有名な例であろう。しかし、17世紀科学革命の成果をモデルにし、数学的自然科学をアプリオリな知と考えていたため、道徳も科学の法則のようであるべきだと考えた。 

 

人間は自律した主体とされた。  今日の社会制度が、理性的な自立した主体としての人間を前提としている。しかし、全体としての人間は、理性的でなく、自立しておらず、主体(主観)でもない。   

 

カントの定言命法は「あなたの意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」と人間が「普遍法則」に合わせるよう命じている。 

 

が、なぜ人間が普遍法則に合致させなければならないのか。そもそも、どう行為すればよいかわからない。はたして「定言命法」に従って生きているものがいるだろうか。

 

仏典とか聖書を暗誦し覚え、日々の生活の指針としているものはまだいる。しかしカントの定言命法を現代人が生活の指針にするのはまずできない。

 

 ニュートンに「理念の衣」を着せられたカントは、誰も守れない道徳法則を掲げる。

 

 

精神革命と科学革命の交差点

 

ソクラテスは同時代の精神革命と縦軸の西洋哲学史の交差点に立っている。ソクラテスは「科学の性格をもっとも先鋭に表現する論理学の父」(2193)であると同時に、「よく生きること」を実行し、道徳的世界解釈をして見せた。

 

「ソクラテス以来ヨーロッパの歴史において共通しているものは、道徳的評価をその他すべての価値の支配者たらしめようとの試みである。・・・シナにもこれと似た運動があった。インドにもこれと似た運動があった」(『権力への意志』27411235)。 

 

と同時に、時間軸を下れば、ニーチェが『悲劇の誕生』において、科学を「ソクラテス主義」と呼んだように、ソクラテスを代表とするギリシア哲学の嫡流は、およそ2000年後、ヨーロッパで「科学革命」を引き起こす。 

 

ドクサを論駁しエピステーメーに至る、仮説を破壊し、真の知に近づく科学の方法はソクラテスが始めたものである。

 

 

儒教

 

儒教は私たちの東アジアで盛んだった「道徳的世界解釈」である。中国では漢(前二世紀)から清(二十世紀初め)まで、二千年以上にわたり国教であった。

 

非西洋世界でいち早く西洋化、近代化を成し遂げた日本の道徳は、儒教色の濃い『教育勅語』によって、終戦(1945年)まで導かれた。

 

戦前の道徳教育の科目は「修身」と呼ばれた。これは儒教の経典の一つ『大学』にある「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」から取ったものである。 

 

二年前(2011.311)の東日本大震災後、宮城を訪れた松本復興担当相(当時)は、遅れてきた宮城県知事を「長幼の序をしっかりわきまえた方がいい」と叱責し、物議をかもした。 

 

私たちは日常年齢を気にし、案外「長幼の序」を意識している。『孟子』にある人として守るべき道徳、「五倫」は現代でもなくなってはいない。 

 

サッカーの本田圭佑選手は、小学校の卒業文集に「大金持ちになって親孝行する」と書いた。現代にも生きている「親孝行」という賞賛の言葉も儒教と無関係ではあるまい。 

 

私たちは空気がなければ、一刻も生きていけない。日常の価値評価、道徳は、私たちにとって空気のように、あまりに身近なために通常は意識せず、見えていない。

 

しかし、民衆という河に舟が浮かび「覆面をかぶった価値評価がもったいぶって座っている」(『Z』Ⅱ「自己超克」)。 

 

「人生」と名づけられた誕生から死までの間、私たちがまったく没価値的であることは一瞬もない。完全に価値評価がなくなったとすれば、人工知能にフレーム問題が生じるようにこの世の現実に対処できない。 

 

 

孔子とプラトンのルサンチマン

 

  ニーチェの言う「ルサンチマン」はキリスト教について言われることが多いが、「道徳」ということ自体についても言えることである。世界同時的に起こった精神革命は、弱肉強食、優勝劣敗のこの世に対する抗議である。

 

 ヘラクレイトス(前540~前480)の同時代人、孔子(前551~前479)は失業し、14年間、諸国を流浪、「就活」に励んだが、どこへ行っても採用されず、ときには飢えたり、殺されかけたりもした。69歳で故郷の魯に帰る。以後なくなるまでの三年間は政界に望みを絶ち、弟子の教育に専念する。 

 

政治家志望の青年、プラトン(前427~前347)もソクラテスの刑死後、現実の政治に絶望し、12年ほど遍歴する。40歳ごろアテネに戻り、アカデメイアを開く。その後も「哲人政治」を実現すべく、シチリアのシュラクサイに前367年(60歳)と前362年(65歳)に渡る。そこでも老齢のプラトンは挫折する。 

 

プラトンの哲人政治と孔子の徳冶政治は、自分が政治家となれなかった「ルサンチマン」とも考えられる。それだけなら歴史に埋もれて、私たちが知ることは無かったろう。

 

彼らのルサンチマンに導かれた啓蒙活動がその後の人類の歴史を決定する。

 

 ヤスパースはプラトンと孔子の学校には「社会学的な類似関係がみとめられる」(『歴史の起源と目標』重田英世訳理想社p28)という。

 

 私たちはプラトン以後、現代にいたるまでの2400年ほどの歴史を(なんとなく)知っているので、プラトンは成功者、人類の大権威であり、崇敬と羨望の星である。が、本人と同時代人はプラトンの栄光に満ちたその後の2400年の歴史を全く知らない。

 

 プラトンは同時代の「アテネではほとんど知られていなかったし、せいぜい、瞑想にふける奇人と思われていた」「アカデメイアは、アテナイの宗教結社のひとつと思われていただろう」(マルテイン久野明訳『プラトン』150ページ、ロロロモノグラフィー)。 

 

孔子の「徳治政治」、「政を為すに徳を以てせば,譬えば北辰のその所に居て,衆星のこれに共(むか)うが如し」「これを道(みちび)くに政を以てし,これを斉(ととの)うるに刑を以てすれば,民免れて恥なし。これを道くに徳を以てし,これを斉うるに礼を以てすれば,恥ありて且つ格(いた)る」(『論語』為政)とは一種の「哲人政治」である。 

 

20世紀中国の革命家、孫文(18661925)まで『遺言』で「西洋の覇道に対するアジアの王道の優越性を強く唱え続けることが肝要である」と儒教、孟子の説を掲げている。

 

 しかし、私たちの目撃する現実の政治は、徹底した「覇道」、「力への意志」に他ならない。そこで、なぜこのような現実と触れ合うことのない考えがその後の歴史を支配したのかという疑問が浮かび上がる。 

 

精神革命とはお伽噺だったのだろうか。私たちの時代だけが目覚めているのだろうか。 

 

 

現世否定

 

古代の精神革命は「現世否定」という現代人がとうてい賛同できない驚くべき主張がなされる。

 

「洞窟の比喩」では、「この世は洞窟の内部のようなもので私たちは縛られた囚人のようである」とこの世を否定している。

「知を求めること(哲学すること)とは、まさに死の練習である」(『パイドン』81a)。

「できるだけ早く、この世からかの世へ逃げていくようにしなければならん・・・『世を逃れる』というのは、できるだけ神に似る(ホモイオーシス)ということなのです」(『テアイテトス』176b)。「神なるものが最大幸福の模範」「神ならぬものが最大不幸のそれ」(同176e)。 

 

以下は仏教の「現世否定」をあらわす。ニーチェの読んだ最古の仏典『スッタニパータ』から引用する。 

 

 

「悪魔パピーマンがいった、   『子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執着するもとのものは喜びである。執着するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。』

 

   師は答えた、   『子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執着するもとのものである。執着するもとのもののない人は、実に憂うることがない。』」 

 

(中村元訳『ブッダのことば』岩波文庫17ページ) 

 

 

 

「現世肯定」が行き渡った現代人にとって、悪魔パピーマンの主張に賛成し、仏陀に反対するであろう。自分の家族や財産に喜びを見出し、それらの喪失を悲しむことは疑問の余地がない。 

 

しかし、現世否定は、キリスト教においても言えることである。

ニーチェの友人で神学者のオーファーベックは「キリスト教のもっとも深い精神は、現世否定」だという(小川圭治「理想」1969.6)。

 

また「山上の垂訓」において、ナザレのイエスは、「見事に現世の価値からの転換が示されている」(阿部美哉「世界の宗教」『刑政』平成132月、101ページ)。キリスト教の価値評価が示されている。 

 

 

ゾロアスター

 

ペルシャのゾロアスターは生没年が特定できない。メアリー・ボイスは、前1400~前1200の間(山本由美子訳『ゾロアスター教』講談社学術文庫)としているが、前7世紀中葉~前6世紀後半とする説が比較的有力、〔『宗教学辞典』東京大学出版会「ゾロアスター」護雅夫による〕)ともいう。

 

 地球上に生命が誕生し、38億年もの間、生物としての私たちのご先祖さんたちは「自然法則」に従ってきた。「善悪の彼岸」にあって、「生きんとせんがための盲目的意志」に導かれてきた。 

 

ニーチェが「慣習道徳Sittlichkeit der sitten」(『曙光』他)という日本語の「仕来り(しきたり)」つまり「それまでしてきたこと」に従うことが道徳であった。

 

ギリシア神話のゼウスや日本神話のスサノウは到底道徳的とは言えない。

 

ペルシャのゾロアスターが歴史上初めて、「善いことをし、悪いことをするな」と言った。「善悪の此岸(しがん)」を説いた。 

 

「歴史においてこのペルシア人の聳え立つ無比性をつくりあげているものは、反道徳家であるということとはまさに正反対であるからである。ツァラトゥストラは、何よりも善と悪の戦いをもろもろの事物の活動をあらしめる本来の歯車と見た――道徳を、力自体、原因自体、目的自体として形而上学的なものたらしめることが、彼の仕事である」(『この人』182)。 

 

ゾロアスターの道徳的世界解釈は、後藤明のいう「一神教革命」(『イスラーム世界の歴史』放送大学)を用意した。ともかくもゾロアスターの「善と悪の闘争」という世界像(ヤスパース)は、ユダヤ教、キリスト教、ひいてはイスラムにまで受け継がれた。

 

  ニーチェが自らの「素性Herkunft」(112274)の第一に「ツァラトゥストラ」をあげ、さらに「モーゼ、マホメット、イエス、プラトン」をあげていることはあまり注目されていない。

 

一神教の系譜、ユダヤ教(モーゼ)、キリスト教(イエス)、イスラム(マホメット)までを自分の素性としている。ニーチェがイスラムのマホメットまでを自分の血筋に数えていることはほとんど注目されていない。

 

 ソクラテスと仏陀は別口にある。 

 

「自状してしまえば、ソクラテスはあまりにも私の近くに位置しているために、私はほとんどやむことなく彼と闘争しつづけているのだ」(1875年夏の遺稿、15236)。 

 

「私はあるいはヨーロッパの仏陀になり得るかもしれない。もちろんインドの仏陀とは反対のものだろうが」(188211−18833月、25147)。 

 

ニーチェの家系は世界三大宗教の教祖の血筋(Herkunft)をひく豪華版である。

 

 

『ツァラトゥストラはこう言った』という題

 

ニーチェの主著の『ツァラトゥストラはこう言った』という題は、「精神革命」の有力な二つの宗教ゾロアスター教と仏教をあらわしている。

 

「ツァラトゥストラ」とはゾロアスター教の教祖のドイツ語名であり、「・・はこう言った」とは、南伝大蔵経(小乗仏教と言っていた)の「如是語」、「Iti vuttaka」仏典の一ジャンルを示す。

 

 1885年秋から1886年春の遺稿に「Iti vuttakam」というものがある。訳者三島憲一の注には「意味不明」で、ニーチェの友人ヴィンディシュの本の題とある。

ヴィンディシュは原始仏教の研究者として知られ、ニーチェのライプツィッヒ大学時代の友人である。 

 

登張竹風(18731955)は”Also Sprach Zarathustra”の題名が「ニーチェ自ら之を読んでノートブックに書き留めて置いた梵語の形式Iti vuttakam (Also Sprach der Heilige)の模倣」(竹風訳『ツァラトゥストラー』の解題)であると指摘している。 

 

『ツァラトゥストラはこう言った』という題そのものが、ヘーゲル流の西洋中心史観に対する「反時代的考察」となっている。 

 

 

現代哲学の対立軸

 

 門脇俊介(『現代哲学』)は西洋哲学史を自然主義と反自然主義の争いととらえる。もっとも門脇はニーチェが自然主義者であると思い違いをしている。 

 

自然主義と反自然主義の対立は古代ギリシアに始まり、全地球を覆い、「現代哲学の対立軸」(野家啓一『思想』「思想の言葉」20034号)にまで連なる。それは科学技術の加速度的な発達に歩調を合わせ、自然主義が優位となって行く。

 

 現代は「私たちが知っているこの世界のみが実在する、すべては自然科学の方法で説明できる」という考え方が広まり、もはや哲学と名づけられなくなった。

 

「哲学」と名辞されないからと言って、哲学がなくなったわけではない。逆である。

 

一つの哲学があまりにも身近になったために見えなくなったのである。ここにも「覆面をかぶった価値評価がもったいぶって座っている」。

 

  哲学と名辞する必要のないほど私たちの時代の背景にがっしりと固定されている。 

 

140年ほど前から言われている。

「われわれはみな現代に特有の科学の仕方を知っている。われわれはそれを生きているのだからよく知っている。・・・人生が・・・永遠の持続を保証された所有物であるかのように」(『反時代的考察』Ⅰ8)。 

 

現代の名無しの哲学は、アリストテレスが今日『形而上学』と呼ばれている本(あるいは講義録)に題をつけなかったのに似ている。アリストテレスにとって「第一哲学」、「棟梁の学」、「王者の学」は、自明であり、名指す必要がなかった。 

 

現代では「科学的」とか「客観的」は、ほとんど「正しい」という意味に解される。逆に、「形而上学的」とか「主観的」は「正しくない」という意味にとられることが多い。

 

歴史的経緯が忘れられている。が、「科学」、「主観‐客観」という現代人が自明のもののように使う地平は、デカルトを父とする西洋近代哲学がここ4百年ほどのうちに切り開いた。

 

「哲学者は2000年という長い間、ほとんど何の成果も残していない」とフランシス・クリックはいうが、「科学の方法」そのものが西洋哲学の成果である。

 

2,000年という長い間」の哲学の歴史がなければ、今日の科学の興隆はない。 

 

近代において科学主義は民主主義と手を携え(『善悪の彼岸』204)、発展している。人は生まれながら平等であるように、「王者の学」というようなものはなく、それぞれの科学は平等というわけである。

 

科学革命においても、臣下の学たる科学は「王者の学」の首を切った(フッサール『危機』3参照)。残ったのは頭のない怪物である。

 

 

ナザレのイエス

 

 今年は2013年だが、ナザレのイエスが生まれてから2013年たったという意味である。実際は数年違うようだが、日本のような非キリスト教国でも広く使われている。 

 

「キリスト教は道徳的主題の徹底的図式化として、人類がこれまで耳をかたむけてきたもののなかで最も極端なもの」(『悲劇の誕生』「自己批評」5)である。 

 

キリスト教はニーチェの言う「奴隷道徳」の典型である。

そもそも道徳ということ自体が「奴隷道徳」なのであり、弱者の強者に対するルサンチマンである。 

 

強者は正義や公正、道徳を掲げる必要はない。道徳を必要とするのは常に弱者である。だから、ニーチェがルサンチマンの典型と考えていたキリスト教は、道徳的世界解釈の典型でもある。 

 

 

「キリスト教は近代の自然科学によって克服されたと思っている連中への皮肉。キリスト教的価値判断そのものは、それによっても全然克服されていないのだ。『十字架上のキリスト』は最も崇高な象徴である――いまだに」(1885秋―1886春の遺稿、29148)。

 

 

『福音書』に書いてある数多くの奇跡、ナザレのイエスが死者を蘇がえらせたとか、水を葡萄酒に変えた等々が事実でないことが科学的に証明されたとしても、キリスト教が克服されたことにはならない。

 

キリスト教の本領はルサンチマン道徳、「一切の価値の転倒」にある。 

 

多くの徴税人や罪人と食事をしているイエスを見て、ファリサイ人たちや律法学者が非難したのに対し、イエスは答えた。  「丈夫な者らに医者はいらない、いるのは患っている者たちだ。私は『義人』どもを呼ぶためではなく、『罪人』たちを呼ぶために来たのだ」(マルコ217)。 

 

これこそ「キリスト教的価値判断」の核心、「愛(アガペー)」を表していないか。 

 

ナザレのイエスは乞食や売春婦、罪人と食事をし、社会的成功者を憎悪した。「すべての弱いもの、低劣なもの、出来そこないのものの味方」(『アンチクリスト』5)となった。 

 

キリスト教の重要な儀式に食事をテーマとした「聖餐(エウカリスト)」がある。 『新約聖書』の『ユダの手紙』12では、一回、食事を「愛餐(アガペー)」と呼んでいる。

 

イエスは「『善くて義しい者』たちの憎悪しか知らなかった」(『Z』Ⅰ「自由な死」)。

 

  この世の成功者へのルサンチマンは、青年イエスの過激な(ラディカル)したがって根源的な(ラディカル)主張である。 

 

「力への意志」であるこの世への最大の抗議であり、自然法則に反する「同情道徳」の極である。『偶像の黄昏』には「反自然としての道徳」の章がある。 

 

関根清三先生は、ナザレのイエスの態度をニーチェの名を出さずに「善悪の彼岸」に超越した視点(『西洋哲学の誕生』第10章)という言葉を使っている。

 

 ナザレのイエスはゾロアスターのような「善悪の此岸(しがん)、こちら岸」では十分とは考えなかった。

 

 「キリスト教はその理想の高さによって古代の道徳体系」(『反時代的考察』Ⅲ2)をはるかに超えたとすれば、ルサンチマンの強さゆえである。キリスト教は強力な道徳主義、反自然主義となった。


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3、理想主義としての哲学 

 

「おのれをかえりみることを怖れている奔流」

 

 2013年9月にIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告があった。 

「今世紀末、地球の平均気温は最大で4・8度上昇し、海面水位は最大82センチ高くなる」、「温暖化は人間活動が要因」である可能性が大であるという。 

 

2013年の夏、私たちは猛暑と局地的な豪雨によって異常気象を実感した。 

 

現代は六番目の生物の大量絶滅の時代であり、前回の五番目の大量絶滅は、6500万年ほど前に恐竜やアンモナイト(巻貝の形をした示準化石)などが絶滅した。現代の生物の大量絶滅の原因は、一つの種、ホモサピエンスの猛烈な繁殖にある。 

 

私たちに最も近い「種」、類人猿が絶滅の危機に瀕している。チンパンジーの生息数は2000年現在で推定2万頭、多くても13万頭以下(札幌市円山動物園による)、ゴリラもオランウータンも数万から十数万のあいだであるという。 

 

それに比べ、わがホモサピエンスの繁栄ぶりは常軌を逸している。個体数は2013年、71億を超えた。 

 

人類は一万年ほど前に農業を始め、人口が飛躍的に増大する。

ナザレのイエスの時代には、2億ほどであった。10億に達したのがヘーゲルの時代、1800年ころ、20億が20世紀の初めごろである。2011年に70億を超えたという。

 

これはもう「進化の袋小路に入った特異動物」(濱田隆士『地球環境科学』238ページ放送大学による)である。 

 

ニーチェは130年ほど前、つまり世界の人口が15億ほどであったころに、人間を「地球の皮膚の病気」(『Z』Ⅱ「大いなる事件」9207)と言い、先見性を示している。

 

IPCC報告で言われたことは目新しいことではない。

しかし、「欲望の踏み車」を踏み続けないと、社会全体がうまく回らない。全体としての人類の進化の方向を変えることができるであろうか。

 

私たちが「ヒトという種」全体、とか地球環境とかを考えるのは抽象的で、日常からかけ離れている。このまま行くところまで行くしかないのではないのか。決定的な破局まで行くしかないのではないのか。 

 

このように考えるとニーチェの計画した『力への意志』の冒頭の言葉は、130年後の今日を見事に言い当てている。

 

 

「私の物語るのは、次の二世紀の歴史である。私は、来るべきものを、もはや別様には来たり得ないものを、すなわちニヒリズムの到来を書きしるす。・・・私たちの全ヨーロッパ文化は長いことすでに、十年また十年と加わりゆく緊張の拷問でもって、一つの破局をめざすがごとく、動いている。不安に、荒々しく、あわてふためいて。あたかもそれは、終末を意欲し、もはやおのれをかえりみず、おのれをかえりみることを怖れている奔流に似ている」(1887.11-1888.3)。

 

 

 ニーチェ以後、100年少しの歴史は、「破局をめざし」「終末を意欲し」「おのれをかえりみることを怖れている奔流」のようであった。  ヨーロッパだけでなく、全世界が、現代という時代全体がこの「奔流」に飲み込まれている。それはもはや「もはや別様には来たり得ない」。

 

 

 哲学者ニーチェ 

 

現代のように科学技術によってめまぐるしく変化する社会は、かつての大哲学者たちは経験していない。

 

「欲望の踏み車」の回転を速くすればするほど、全体像がわからなくなる。科学が進歩すればするほど、哲学が失われる。 

 

現世否定を標榜した古代の仏教やキリスト教が、この世のどんな権威にも負けない確固たる生き方を示した。

 

それと対照的に、現代の賢者たちが現世肯定をすればするほど、私たちの人生は安っぽく希薄なものとなる。

 

現代は「機を見るのに敏で、押しがつよくて、人々の応待に生まれつきすごい腕前を見せるような精神」(『ゴルギアス』463a)が賢者とされる。

 

一寸先の見えない夜道を行くには、遠い星を頼りとするのがよい。見通しのきかない現代、遠い過去を振り返るのがよい。

 

「哲学はつねに同じ主題にかかわる」(『ゴルギアス』482ab)と書いてあるではないか。

「偉大な哲学者たちはすべて同じことを語っている」(『反時代的考察』Ⅲ3)のではないのか。

 

プラトンとニーチェは私たちの同時代人である。

 

 ウーシア(実在、実体、存在、本質)をめぐる「神々と巨人族との戦い」(『ソピステス』246a岩波プラトン全集3)を訳者藤沢令夫は「物体(ソーマ)主義者と形相主義者」(『ソピステス』解説)の戦いとみる。

 

それは哲学者(知の愛求者)とフィロソーマトス(物体の愛求者)の戦いでもある。ギリシア語ソーマは英語のbodyやドイツ語のkoerperのように「物体」の他に「身体」の意味もある。 

 

物体主義は「何らかの手ごたえと手触りをあたえるもの、ただそのようなものだけがあるのだ」(246a)、「物体と実在は同じもの」であり、「あらゆるものを強引に引きずりおろして物体に帰せしめ」(246c)ようとする。 

 

形相主義は「真の実在とは、思惟によってとらえられる非物体的な或る種の<形相>である」(246b)とする。  また、藤沢令夫は「物体主義者・形相主義者」を「materialismidealism」(「解説」)といいかえている。

 

「唯物論・観念論」と言うと近代哲学の争点とくに「マルクスとヘーゲル」を想起してしまうからか藤沢は英語でしか書いていない。

 

「物体主義者と形相主義者」はもっと素朴で始原的な、「非哲学と哲学」、「ソフィストと哲学者」、「ニヒリズムと理想主義」というべきもので、それは「自然主義と反自然主義」にもつうじる。   

 

そもそも哲学という言葉自体がソクラテスとプラトンのところで意味付けされた。「哲学―非哲学」を軸にして考えれば、ニーチェは哲学の本流を行く。 

 

 

「自状してしまえば、ソクラテスはあまりにも私の近くに位置しているために、私はほとんどやむことなく彼と闘争しつづけているのだ」(1875年夏の遺稿、15236)。 

 

「哲学者というものは、人間がどこまで自らを高めることができるか、特にプラトンの場合は、どこまで自分の力が及ぶかを吟味することに猛烈な努力をする人間であるとみなすことができよう」(1885年の遺稿、28226)。 

 

 

「ニーチェほど自覚的に語の本来の意味で愛知者たらんとした近代人もまれであろう」と森一郎(「生への愛、知への愛」『理想』2010年)はいう。 

 

ニーチェは「フィロソーマトス(物体愛求者)」(『パイドン』68bc)から最も離れた哲学者、「フィロソフォス(愛知者)」である。

 

 

「人類の全発展にたいする良心」

 

71歳のハイデッガーは「わたしはまだニーチェという『深淵』に潜んでいます」(メダルト・ボスへの手紙、1960.8.18『ツォリコーン・ゼミナール』)と告白している。

 

  長寿のハイデッガー(18891976)も、「存在とは何か」という如意棒をさんざん振り回したが、結局、「お釈迦様」(44歳で発狂したニーチェ)の手のひら中だったのであろうか。

 

  しかし、ハイデッガーの「ニーチェ論」が際立って優れている。それは西洋哲学史全体の文脈からニーチェを解釈したことにある。

 

それでも足りない。ニーチェは自称「人類を二分する世界史的怪獣」であり、西洋哲学史の中に納まらない。 

 

「たこつぼの相の下で」考える「プチ・フェータリスム」(『道徳の系譜』Ⅲ24)がいきわたった現代から考えると、ニーチェは気違いじみた「大きな物語」の中にある。

 

いや、気違いじみているのでなく、本物の気違いとなった。

 

  ニーチェにとっての哲学者とは「人類の全発展にたいする良心をもつ者」(『善悪の彼岸』61)である。それは「人間の歴史を総体として自己の歴史と感じることのできる者」、「過去一切の精神的遺産のあらゆる高貴性の継承者、しかも責任を負う継承者」(『悦ばしき知識』337)である。 

 

ニーチェの最悪の読者とは略奪兵のように自分の好き勝手に引用する者であり、逆に、最も善い読者とは「人類の全発展」の文脈からニーチェを理解するものである。

 

 

理想主義

 

  ニーチェが「理想」を言いあらわした個所はいたるところにある。私が好きなのは、『ツァラトゥストラはこう言った』第三部「七つの封印」で七回繰り返される。 

 

「七つの封印」とは、『聖書』の末尾にある『ヨハネの黙示録』6章にある「巻物にかけられた封印」を言う。人類の危機が象徴的に語られているという。 

 

ニーチェの「七つの封印」は、もともと『ツァラトゥストラはこう言った』を三部構成とし、全体のフィナーレとして構想されていた。

 

 

「おお、どうしてこうしたわたしが、永遠をもとめるはげしい欲情に燃えずにいられようか?指輪の中の指輪、最高の結婚指輪、―あの回帰の円環をもとめる思いに?   わたしはこれまでにわたしの子を生ませたいと思う女性に出会ったことがなかった。このひとだけには子を生ませたい。なぜなら、おお、永遠よ、わたしはあなたを愛するからだ! わたしはあなたを愛するからだ、おお、永遠よ!」(氷上英広訳)

 

 

 ニーチェの彼の時代に対する過激な言動と劇的な最期は、「永遠をもとめるはげしい欲情」にかられたためである。 

 

科学を本性から考え、偶然的な成果からのみ考えなければ、「昔別れた美しい恋人(形而上学)のもとにかえって」行けるかもしれない。 

 

「科学にこびるような態度をとる哲学者の議論や哲学的に放言することを覚えた科学者の解説」(山本信「ヴィトゲンシュタインの場合」『形而上学の可能性』所収)」ではなく、純粋の哲学、「男の操をもって哲学的に生きる」(『反時代的考察』Ⅱ5)ことが不可欠である。 

 

 哲学はソフィストの「コラケイアー(迎合・おもねり)」(『ゴルギアス』463)に対して「虻(あぶ)」としてふるまうこととして意味づけされた。

 

ニーチェは虻というよりも「シビレエイ」であり、シビレエイというよりも「毒蛇」である。

 

「物体主義の奔流」に飲み込まれた現代は、ニーチェという毒蛇を必要とする。毒(パルマコン)は薬(パルマコン)でもあるからだ。

 

「覆面の聖者」(『悦ばしき知識』)を自称するニーチェはアルクインの言葉に託し「哲学者の天職」を次のように規定している。 

 

「歪めるものを正し、正しいものを強め、聖なるものをいと高めよ」。

 
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