教育とは、まさにその器官を転向させることがどうすればいちばんやさしく、いちばん効果的に達成されるかを考える、向け変え(ペリアゴーゲー)の技術にほかならないと (プラトン『国家』518d)。

 

 キリスト教の根がなくなったことによって、当世の青年たちは教育のないまま成長する (ニーチェ遺稿1880初頭―1881春、111・19)。

 

 人生を返せ、青春を返せ(佐藤健一)。


トップぺージに戻る

 

 

目次

 

はじめに「われわれの教育者自身が教育されていない」

1、洞窟の中の風景                        

1-1、洞窟の比喩                         

1-2、回顧                             

1-3、三つの事件                                                

①、佐藤健一 開成高校生殺害事件1977年             

②、朝倉泉  祖母殺人  1979年                 

③、酒鬼薔薇聖斗事件   1997
                  

2、「洞窟の比喩」の意味                                            

-1、二世界論                            

-2、ソクラテス                                                             

2-3、洞窟の影としての科学主義 

3、結語「学ぶべき最大のもの」(『国家』505a)がそっくり抜け落ちてい                               

 

『進化と人間行動』「まえがき」

参考文献            

 

 

謝辞

 

卒業研究担当の岩永雅也先生、御指導どうもありがとうございました。

今年(2010年)の記録的な猛暑の中、幕張の先生の研究室の通ったのを思い出します。京成幕張から本部まで行くのに、途中のイトーヨーカ堂で涼んでから行ったほどでした。

ギリシア語のディアレクティケーは、「対話術」、「問答法」、あるいはドイツ語経由で「弁証法」(「正体不明の日本語」〔藤沢令夫〕)などと訳されますが、どうもはっきりしません。ところが卒業研究で先生にするどく論駁されると、自分でも以前には想像しなかった考えに逢着しました。

言葉つまりロゴスのやり取りによる探求(ディアレクティケー)に少し触れたような気がします。

 

次に進む

トップページに戻る

 

トップページに戻る

 


はじめに 
―われわれの教育者自身が教育されていない―

 

 「教育とは何か」を問うことが、すべての「教育問題」で最も重要である(江原武一『基礎教育学』222ページ)ならば、「教育とは何か」を問うことには、何よりも真剣さが必要となる。それによって教育全体が全く違うものとなる。

 だから、教育を生業(なりわい)としている人々は、まず第一に「教育とは何か」を問わなければならない。にもかかわらず、問われることの少ない「教育問題」のように私には思われる。真剣に問えば問うほど、教育の範疇を大きくはみ出してしまう。

メタ教育、哲学の領域に侵入してしまう。その哲学というのは学校で教えられている哲学ではない。

「世間という大きな本」(デカルト)に書かれた哲学である。それは大多数が「哲学」と名付けず、文字に書かれない「魂」に刻み付けてある哲学である。

哲学研究に専門はあるが、この哲学には専門がない。科学的に考えない人間は多いいが、こうした哲学を持っていない人間はいない。

 古来哲学者の典型とされるソクラテスは、「人生」という唯一の作品を遺しただけである。大多数の人も哲学書を書くわけではないが、すべての人は少なくとも「人生」という名の哲学の作品を一つ遺す。

 「教育とは何か」を問うことは、大海原を航行する船のように、問題が際限なく広がる。

「教育とは何か」を問わないことは、どこへ行くのかわからずに航行している船のように、救いようのない手抜かりではないのか。

小さな手抜かりならすぐに気がつくが、この手抜かりは、あまりにも巨大である。そして、あまりにもきれいに抜け落ちている。世界史的手抜かりである。

 

 今日は仮病を使い学校を休もう。家の鍵をしっかりかけ、居留守を使おう。「幸福は閑暇(スコレー)に存する」(アリストテレス)のだ。アームチェアに座り、「教育とは何か」を考えよう。

 全体像はアームチェアの中で思索しなければ見えて来ない。現在どこにいるかは、全体の地図がわかってから言えることである。全体像がわかって初めて、個別の事象もわかるという面がある。

日常の雑事、個別科学の専門知識に惑わされてはならない。目をつぶり、心の中を見よう。私たちは
40億年の生命の進化の果てであり、その果実が私たちの中にあるはずだ。

 現代の教育によって根絶されていなければ、人間の自然(ピュシス)が私たちの心の中に生きているはずである。古代日本人が「清明心」と言ったものはまだ残っているであろうか。

 日々の仕事をこなすのに比べ、「考えること」は誰にでもできるものではない。部屋の中で一人になると不安に陥り、苦悩に襲われる。

 

 きみは酒鬼薔薇聖斗の迷い込んだ「暗い森」に一人で行けるか。
きみのようによく教育された「従順な身体」を持った人間は、怪物たちの餌食になるのが落ちだ。

きみは「孤独に耐えること」(ニーチェ『曙光』
443)を学んだのか?
きみは「悩むこと」を学んだのか?

 

 「教育とは何か」の問いは、「生れ落ちたこの世がどういうところであるのか」にかかわる。

古代の人類の教師たちは、この世を道徳的に秩序あるものと見た。

「教育とは何か」の問いは、「人生いかに生きるか」にかかわってくる。

 ソクラテスは名教師であった。なぜなら、さまざまに尋ねられ、引きまわされ、自分自身が、「現在どのような生き方をしているのか、今までどのように生きてきたのか」(プラトン『ラケス』187e)を考えさせられるからである。

 

 次の14歳の登校拒否という「暗い森に迷い込ん」だ少女(手塚範子)の言葉を聴いてもらいたい。人間の本性(古代ギリシア人はピュシスと呼んだ)を歪められた子どもの心の叫びである。

 

   私

 

“死にたい”

それだけを考え続けてきた

生きるって何?

人生って何?

私って何?

私は、この世に何でいるの?

どうして私をこの世に存在させたの?

もう、こんな所で生きている自分自身がいやだ!!

死・人生・命・・・

私の生きる世界はどこにあるの

(『子どもたちが語る登校拒否』世織書房1993216㌻)


 

この少女の問いに答えられるであろうか?

こうした問いは自前の「哲学」で答えるしかない。

悲しいかな現代の教育を駆け抜けてきた教育者たちは、このような問いにしり込みしてしまうのではないのか。

うわべを繕っても、無駄である。教える者の哲学、信念が「隠れたカリキュラム」となる。

競走馬が走路(カリキュラム)を早く走れたとしても、馬として優れているに過ぎない。

 

 私たちが問題とするのは、人間としてのアレテー(よさ)は何かである。

子どもの時から急がされ、せきたてられ目隠しをされていたのでは余計なことは考えられない。それでは「先生」と呼ばれるに値しないではないか?

「われわれの教育者自身が教育されていない」(
18761877年のニーチェの遺稿、18251)のではないのか?

よい学校に入り、よいところに就職し、そしてよい人生を送ることが教育なら、今の予備校の類が教育の本筋ではないか。教育制度をそのように再編すべきであろう。

「制度化された価値」の階段を駆け上がることが教育の目標なら、偏差値教育がそれにふさわしい。

 

 現代は教育を生業としていない人々も、教育に巻き込まれない人はいない。

「義務教育」と称して
6歳から15歳まで、9年にもわたり、例外なく学校という特殊な空間に入れられる。

おまけに、「かくかくしかじかのことを学べ」とカリキュラムを強要される。

洞窟の中に縛り付け、壁に映る影だけしか見えないようにするという比喩がぴったりである。

それにしてもどういった根拠でそのようなことが許されるのか。傲岸不遜、厚顔無恥な連中の顔が見たいというものだ。

また子どもたちの「透明な存在造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐」(酒鬼薔薇聖斗「犯行声明」)がないとも限らない。

 

 「教育とは国家の統治行為」(山崎正和)であり、義務教育によって「従順な身体」(フーコー)をつくるというあたりが納得できそうだ。

そうならば、そんな教育など安倍晋三にでもやらしておけ。

他人様の「従順な身体」をつくるなんてでしゃばるものじゃない。

ミッシェル・フーコー(19261984)はニーチェに倣い、この世を「力への意志」であり、教育制度もその装置と見る。

私たちの教育とは「従順な身体」をもった人間が「従順な身体」を再生産しているのではないのか。

現代の教育とは「人間を機械にすること」(ニーチェ『偶像の黄昏』、
13100)ではないのか。

そのために「糞勉強」が必要なのではないのか。

古代ギリシア人とは逆に、スコレーの否定アスコリア(暇なし)を理想とした教育とされるのではないのか。

富国強兵、豊かな国や強い軍隊でなく、「よい人生」、「人格の完成」という視点に立とう。

教育基本法が教育の目的とする「人格の完成」という文言と、その立案者とされる田中耕太郎(
18901974)がカトリックであったこととは無関係ではあるまい。

教育を生業としている人々は現存の教育制度を否定できない。自分たちがそれに依拠しているからである。

教育制度が変わると「飯の食い上げ」となってしまう。だから自分の立っている地盤を揺るがすように、「教育とは何か」を根源的に問うことはできない。

 

 現代という時代の大きな曲がり角あるいは終末において、「過去の偉大なものを範として生きること(1870-71冬―1872年秋、13350)」を教育としようではないか。

教育の全体像を見るには、最も遠い最もよく光輝く星をわたしたちの導きとしなければならない。

星明りに照らすと次のように読めた。

 

「教育が正道をふみはずしていても、正道に戻すことの可能なかぎりは、その仕事こそ、すべての人が生涯を通じ、力のかぎり、やらなくてはならないものなのです」(プラトン森進一他訳『法律』644)。

 

次に進む

目次に戻る

 

 

 

トップページに戻る

 

 

1、洞窟の中の風景

 

-1、洞窟の比喩

 

プラトンの『国家』第七巻はソクラテスの次の言葉で始まる。

 

教育と無教育ということに関連して、われわれ人間の本性(ピュシス・自然〔筆者による付け足し〕)を、次のような状態に似ているものと考えてくれたまえ。

――地下にある洞窟状の住まいのなかにいる人間たちを思い描いてもらおう(藤沢令夫訳『国家』〔下〕514A岩波文庫)。

 

 そのあと哲学史上たぶん最も有名な比喩、「洞窟の比喩」(514A-521B)が語られる。

比喩はわかりにくい抽象的なものを、わかりやすい具体的な目に見えるものに置き換え理解しやすくする。

かなり急な勾配の洞窟があり、人間たちは子どもの時から手も首も縛られたまま洞窟の奥の壁を向いている。洞窟の住人たちの上方には火が燃やされていて、その間に低い壁のようなものがある。

それに沿って人間や動物の像が運ばれてゆく。縛られた洞窟の住人たちは振向くことができず、自分自身と仲間の実像は見えない。洞窟の奥の壁に映るそれらの影だけしか見ることができない。

その縛られた囚人たちは自分たちの口にする「物の名前」が、目の前を通り過ぎる影の名前であると信じるだろう。また、それらの影だけを真実なものと認めるであろう。

 

 囚人の一人が縛めを解かれ、後ろを振り返るのを強制されても、目がくらみよく見定めることができない。以前に見ていた影のほうが、真実性があると考えるであろう。

さらに洞窟の急な坂を引っ張って行かれ太陽の光の中へ引き出されると、輝きでいっぱいになり、彼は苦しがって見る事ができない。

201010月、落盤事故で地下深く閉じこめられていたチリの炭鉱労働者が、70日ぶりに地上に救出されたとき、サングラスをしなければならなかったと同じ理屈である。

だから上方の世界の事物を見るには慣れが必要である。始めに影を見、次に水に映る映像、その後に事物を直接見る。さらに天空にあるもの、夜に星や月の光を見る。最後に太陽を直接見る事ができるようになる。太陽は四季の移り変わりをもたらすもの、「目に見える世界」のいっさいを管轄するものである。

 

 地下の囚人たちの間で、知恵として通用していたものなどを思い出し、囚人たちを哀れみ、自分を幸せだと考えるであろう。

地下での名誉とか賞賛を解放されたものが羨んだりするだろうか。囚人たちの生き方は決して欲しない。

解放されたものがもう一度地下へおりて行ったとすると、暗黒に満たされるであろう。目が地下の世界に慣れるまでかなりの時間がかかる。上へ登って目がすっかりだめになったと、縛られたものたちから失笑を買うであろう。

囚人を解放して上に連れて行こうとするものを殺してしまうのではないだろうか。この囚人を解放しようとして殺されたのは、歴史的ソクラテスが想定されている(訳者藤沢令夫の注)。

 

 教育とは「魂のなかに知識がないから、自分たちが知識をなかに入れてやるのだ」ということではない。

「〔真理を知るための〕機能と各人がそれを魂の全体といっしょに生成流転する世界から一転させて、実在および実在のうち最も光り輝くものを観ることに堪えうるようになるまで、導いて行かなければならないのだ」(
518c)。

 

「教育とは、まさにその器官を転向させることがどうすればいちばんやさしく、いちばん効果的に達成されるかを考える、向け変え(ペリアゴーゲー〔筆者の付け足し〕)の技術にほかならないということになるだろう。それは、その器官のなかに視力を外から植えつける技術ではなくて、視力ははじめからもっているけれども、ただその向きが正しくなくて、見なければならぬ方向を見ていないから、その点を直すように工夫する技術なのだ」(518d)。

 

 プラトンにとって教育とは洞窟の中で縛られた鎖を断ち切り、洞窟の外の太陽に人間全体を向け変えること、生成から存在へのペリアゴーゲーである。

洞窟の中で縛られていては、自分たちの姿は見えない。だから、ペリアゴーゲーとは「ソクラテスが弟子をいざなってゆく目標は自己自身への帰還」(ジャン・ブラン『ソクラテス』クセジュ文庫
58ページ)ともいえる。

 

 このペリアゴーゲーというキーワードはconversioとラテン語に訳され、英語のconversionになった。後にこの語は、宗教的「回心」の意味になった(藤沢令夫『プラトンの哲学』岩波新書)。教育とは永遠のものへの回心であり、それが現代の教育に全く欠けている。

 

 ニーチェによれば「プラトンは宗教的な狂人にすぎない」(1880初頭―1881111・339)というが、『国家』の最後には「エルの物語」という死後の因果応報が語られる。

歴史的プラトンは「魂の不死」を信じていたに違いない。

「魂は多くの肉体を着潰してゆく」(『パイドン』
87d)、「死んでのちはあの世において、自分の生きてきた生のうえに、それにふさわしい運命を付け加える」(『国家』498c)というのだから、これは現代のセンスでは宗教である。

 

 「西洋哲学の歴史はプラトンの脚注」(ホワイトヘッド)とさえ言われる。それに比べてプラトンが教育者として言及されることは少ない。

だが、岩永先生のあげる「教育の巨人たち」(岩永雅也他『教育と心理の巨人たち』放送大学)の中でもとびきりの巨人がプラトンである。

 彼のアカデメイア(英語ではアカデミー)がおよそ900年後、東ローマ皇帝ユスチアヌスによって閉鎖された525年をもって古代の終りとし、フィチーノ(143399)がアカデミア・プラトニカをフィレンツェに再興した15世紀中ごろをもって近代の始まりとも言える。

彼の学校を軸にして世界史を考えることさえ出来る。

現代の日本語でも「アカデミー」は「正統的な学校」くらいの意味に使われ、日本学士院の英訳は、「ザ ジャパン アカデミー」とプラトンの学校の名が付けられている。

教育者プラトンは世界史的出来事である。

 

 プラトンの主著というべき『国家』は、「政治についての著作ではない。これはいままでに書かれた教育論のなかでいちばんすぐれたものだ」(今野一雄訳『エミール』上29)とルソーはする。

 また、『国家』の「主な内容はむしろ教育論なのです」(田中美知太郎全集第六巻「プラトンの『ポリーテイアー』」59筑摩書房)とギリシア哲学の碩学はいう。

 

-2、回顧

 

 40億年前に地球のどこかで生命が誕生し、環境に適応するために極めて長い時間をかけ生物自身の形質を変化させてきた。ゴキブリがすばやいのも、キリンの首があれだけ長くなったのも環境に適応したためであろう。

しかし、あつかましくも、ホモサピエンス(知性人)と自ら名づけた種だけは、一万年ほど前、日本では2千数百年前、農耕を始め、逆に環境のほうを変える戦略を取った。

 ホモサピエンスの名付け親は、18世紀のスウェーデン人、カール・フォン・リンネ〔17071778〕である。

その後、不変であると思われていたエイドス(種)が進化論によって否定され、現代では生物の種を操作できるところまで来ている。

 

 ホモサピエンスとは私たちの最近15万年ほどの進化の過程を表した言葉に過ぎない。

一億年前には、恐竜の跋扈した昼が怖く、私たちの先祖は夜行性のねずみのようなものにすぎなかった。

二足歩行するサルとあまり変わらない、食料を求めあてどなく移動するきわめて長い狩猟採集の時代を人類が脱したのは、農業を覚え、定住し技術や知識が積み重ねられるようになったからである。

 一ヶ所に住み、土地を耕作(カルチャー)することは、文化(カルチャー)を生み出し、ひいては個人の教養(カルチャー)につながった。知識や技術の世代間の伝達には「教育」が介在した。

 

 ヤスパースが『歴史の起源と目標』でいう人類の「枢軸時代」Achsenzeit(およそ紀元前800年から200年)に、ゾロアスター(ドイツ語で「ツァラトゥストラ」、前7世紀中葉~前6世紀後半とする説が比較的有力、〔『宗教学辞典』「ゾロアスター」護雅夫による〕)、孔子(551-479)、仏陀(565-486、〔463-383中村元による〕)、ソクラテス(469-399)、プラトン(427-347)が出現した。

 この人類の基軸は全く別個にあらわれたにもかかわらず、道徳的世界解釈、二世界論という点で不思議なほど一致している。現代の地球を風靡している科学主義の哲学とは正反対である。

 

 それと同時に、「知への愛」、哲学を標榜するソクラテスとプラトンの方法は、現代の科学と無縁でない。

ロゴスによって、「知っているという思い込み」、ドクサを駁し、「真の知」、エピステエーメーを求めることは、西洋の
17世紀科学革命、スキエンティア、サイエンス、科学の成立につながった。

近代という時代はそっくり科学、ソクラテスの方法に導かれている。

だからニーチェは『悲劇の誕生』(1872年)で、科学を「ソクラテス主義」といっている。

 

「ソクラテスの影響」は、「今日この瞬間に至るまで、いな、未来永遠にわたって、まるで夕日を受けてだんだん大きくなってゆく影のように、後世にひろがっていった」。

(秋山英夫訳『悲劇の誕生』139ページ岩波文庫)

 

 最近は「知(スキエンティア)は力なり」が絶大なものとなり、地球の環境を大きく変えている。また、「特にこの五十年、特に最近二十年の現代科学技術文明以降につくり出された環境というのは、サピエンスの進化という環境からみて、ものすごく新奇です」(長谷川真理子『ヒトの教育』20058.10)という。

 

「神の似姿(イマゴ・デイ)」とされ、理性の与えられた特別の存在であった人間が、コペルニクス(14731543)、ダーウィン(180982)、フロイト(18561939)らによって、他の被造物と同レベルに引きずり下ろされた。

ニーチェのいうように「人間は再び動物となった」。

科学は理想を示さず、「人間に対して自己を動物として捉えることを教える(
13140)」からである。

人間の教育でなく「ヒトの教育」である。

 戸塚ヨットスクールが創立されたのは、1976年、戸塚が逮捕されたのが19836月である。20064月に出所した後も意気軒昂である。後で述べる佐藤健一のように猛獣となってしまった子供に手を焼き、戸塚に救いを求める人々が少なからずいる。

動物としての教育に「需要」が絶えない。

 洞窟の中の影は猛スピードで変わる。とくに最近はインターネットにより、抽象化、断片化された実在の影がめまぐるしく変わる。

 最古の仏典『スッタニパータ』が文字化されるまで100年以上かかった。それが日本語に訳されたのは2千数百年後の20世紀に入ってからである。

仏教は、グーグルやマックも足元にも及ばない究極の「スローメディア」である。

 1400年ほど前に27歳の唐の玄奘(602664)は、国禁を犯し、16年かかり天竺から仏典を持ち帰った。現代では、飛行機に乗れば数時間で西安からインドまで行かれる。

しかし私たちの時代に、玄奘のように「命に代えて仏の教えをあきらかにしたい」という熱い思いを抱いた僧がいるだろうか。

 300年ほど前に20歳のヨハン・セバスチャン・バッハ(16851750)は、ブクステフーデ(16371707)のオルガンを聴くために、アルンシュッタトからリューベックまで370キロ歩いた。

今はアイポッドを押せば、瞬時にブクステフーデでもバッハでも聴くことが出来る。

 

 速すぎるではないか。安直すぎるではないか。

そのスピードと手軽さに代えて、私たちの時代はかけがえのないものを失ったのではないのか。

洞窟の中の影を追いかけるのが精一杯で、洞窟の外の太陽にかかわっていては落ちこぼれとなってしまう。

現代は科学技術が、以前には思いも及ばなかった人間の欲望を満たす時代である。世界が急激に変わる。

 第一次産業(農林水産業)の就業人口比率は、1950年に48.3%であったものが、1980年には、10.9%になった。これは文字どおり、農業が始まったとされる弥生時代(BC4世紀からAD3世紀)以来の激変である(駒林邦男『現代社会の学力』6ページ)。

ジャン・ジャック・ルソー(
17121778)の同時代人、安藤昌益(17031762)の言葉を使えば、「不耕貪食(ふこうどんじき)の徒」が大多数となった。

 ほとんどの日本人(日本列島の住民をこう呼ぼう)が2000年以上農業を生業としていた。

日本史の授業で暗記させられた日本史上名高いさまざまな事件、大化の改新:
645年、徳川幕府成立:1603年等々によっても、大多数の日本人の日常生活は全く変化しなかった。

物心ついたときから、苛酷な労働に明け暮れ、多くは
50前にこの世を去って行った。

織田信長が桶狭間に出陣する前に、「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。 ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」と謡ったとされるのは、1560年のことである。しかし、当時の平均寿命は50を大きく下回っていたはずである。

厚生労働省のホームページによれば、日本人の平均寿命は1947年、男50.06歳、女53.93歳だったものが、2004年には男78.64歳、女85.59歳となった。

五十年ほどの間に人生の長さが五割増しになった。これも科学技術による大きな変化である。

 

 1872年(明治5年)に「学問ハ身ヲ立ルノ財本」(「財本」とは『広辞苑』によれば「財産と資本」である)とされたが、100年もしないうちに、起草者が生きていたら驚くほどよく現実化した。

近代国家日本は学問、近代科学によって「財産と資本」を手中にした。

しかし、近代学校教育は「飽和状態」(辻本雅史『教育の社会学』)に達したという。

不登校、校内暴力、いじめ、ニート、引きこもりなどは教育と多くかかわり、以前とはかなり異質な問題である。

近頃よく耳にする「キレる」という言い方は、「機械仕掛けの人形」になってしまった「断片化された人間」ようだと森本哲郎は言う(『Voice20014「技術で人格は育たない」)。

そして、「この新奇な環境は実は子供にとってどういうことかという検証はされて」(長谷川真理子『ヒトの教育』
20058.10)いないという。

 

 私は現代の「子供たちを取り巻く新奇な環境」を検証したような以下の三つの事件を取り上げたい。現代という「洞窟の中の風景」である。

「教育とは何か」を知ろうとすれば、その逆、教育の極端な失敗例に注目するのも一つの手である。自分たちが正常と思っている中からは自らの「病気」に気がつかない。重篤な精神病者は自分が病気であることを知らない。

快癒への第一歩は自分が病気であることを知ることである。

 人生の勝ち組だとはしゃいでいる人々の間からは、つまるところ現実を肯定する教育論しか生れない。

「問題児とは、われわれに『問題』を提出してくれているのだ」(河合隼雄『子供と学校』7㌻岩波新書)とすれば、三人が提出した問題は全く未解決のまま私たちの前にブル下がっている。

 

 人生という恐ろしいものを見て、若くしてこの世を去らなければならなかった初めの二人の無念の思いを少しでも共有できるように実名を出したい。

 

 

トップページに戻る

13、三つの事件

 

①、佐藤健一 開成高校生殺害事件19771030日 

 

現在(2010年)と戦争の終わった1945年とのおよそ中間が1977年である。

既に日本の
GDP1968年に当時の西ドイツを抜き、1971年にニクソンショックを、1973年にオイルショックを経験し、高度経済成長期が終り、安定成長期に入っていた。

19771030日未明、東京都北区で、父親が開成高校二年の息子を絞殺。息子の激しいしい家庭内暴力に悩んだあげくの結果である。

 

佐藤健一は1961年生まれで、1967年、ミッションスクール星美学園の小学校に入学する。母が自動車で送り迎えをした。そこで、彼は常にクラスでトップクラスの成績であった。

1973年4月 開成中学入学。中学3年ころから読書のため、部屋に閉じこもりがちとなる。

 

A(父)の持っていたスタンダールの「赤と黒」を手に取ったのを皮きりに、サルトル全集、フッサールといった難解な哲学書を好んでいたという。この頃の成績は約300人中236番と下位に低迷するようになった。」(インターネット「開成高校生殺人事件」)

 

本気で「人間としての生き方についての自覚を深め」(『学習指導要領、道徳の時間、中学』)ると多くの時間とエネルギーを必要とする。

官僚の作文を真に受けてはならない。

道徳とは文字に書くことでなく、実行することである。

彼らの生き方こそ本物の道徳である。哲学とは文字に書かれた固定したものでなく、「魂」に書かれた生きたものである(プラトン『第七書簡』参照)。

カリキュラムとはもともと「競争する場」であり、洞窟の影のおっかけっこである。

「生き方を深める」とは競争を放棄するのに等しい。現代の教育では一つの「生き方」しか想定されていない。「制度化された価値」を駆け上がるのである。

開成高校入学後高校二年の10月に父に殺害されるまで、佐藤健一の激しい家庭内暴力が始まる。

以下は本多勝一『子供たちの復讐』からの健一の言葉である。

 

「お前ら夫婦は教養もないし、社会的地位もないし、そんな奴が一人前の顔して説教できるのか。夫婦ともバカだ」。

「お前ら社会的な地位も名誉もないくせに何を言うか。お前らみたいな夫婦が俺を生んだから俺の人生は破滅だ」。

「俺の青春を返せ」。

「俺の人生は破滅だ。お前たちを道ずれにして殺してやる。俺は犯罪者になって、その辺の人間を無差別に殺してお前らを一生困らせてやる」。

「俺の人生は破滅だ。どうしてくれるんだ。青春を返せ」。

「もう遅い。元の身体に返せ。青春を返せ。人生を返せ。めちゃめちゃにしたのは親なのだ」。

 

1979年2月28日、東京高裁は健一の父に懲役3年、執行猶予4年の一審判決を支持した。

裁判長の判決の中に「猛獣のごとく化してしまった息子」という言葉があるが、健一は「正しい教育」が与えられず「もっとも獰猛な動物」(『法律』上
766a岩波文庫)になってしまった例である。

 

②、朝倉泉  祖母殺人     1979114

 

 正午頃、東京・世田谷区砧の自宅で、私立早稲田大学高等学院1年の朝倉泉(16歳)が一番可愛がってくれた祖母(67歳)を殺害。自身も2kmほど離れた14階建てのビルから飛び降りて自殺した。

「シナリオ」によれば祖父、祖母、母、妹の4人を殺し、その後に無差別殺人をし、自殺をするはずであった(本多勝一『子供たちの復讐』358ページ)。

 佐藤健一も「その辺の人間を無差別に殺してお前らを一生困らせてやる」と口走ったというが、二人とも実行はしていない。

が、二年前(
20086月)の秋葉原通り魔事件で、加藤智大が「勝ち組はみんな死ねばいい」と7名を無差別に殺したのは記憶に新しい。

この三人に共通しているのは、本人たちも訴えたいものが何であるのかわからず「メッセージとしての殺人」で、強く訴えたこと、あるいは訴えようとしたことである。

それは近代の教育が積み残してきた巨大なものである。

朝倉泉は「大衆のエリートに対するねたみ」(『遺書』第二章)と加藤と逆のようなことを言っているが、メッセージとしての殺人と考えれば、朝倉と加藤は同じ動機である。

両者とも「社会に適応しているまともな人間」への「ねたみ」(『遺書』第二章)に貫かれている。朝倉泉は長い遺書を書き事件の動機を次の三項目に総括している。

 

1、エリートをねたむ貧相で無教養で下品で無神経で低能な大衆・劣等生どもが憎いから。そしてこういう馬鹿を一人でも減らすため。

2、1の動機を大衆・劣等生に知らせて少しでも不愉快にさせるため。

3、父親に殺されたあの開成高生に対して低能大衆がエリートにくさのあまりおこなったエリート批判に対するエリートからの報復攻撃。

 

実行されなかった「無差別殺人」を想定して1と2が書かれている。

『遺書』の「第二章 大衆劣等性のいやらしさ」でも開成高校生への共感が語られる。

 

私(朝倉泉)には彼(佐藤健一)の気持ちが本当によくわかる。彼は激怒を家族にぶつけた。もう少し時間があれば彼のほうが両親を殺すことができたろう。ところが彼は自分の怒りを充分表現できぬまま、彼が心の底から憎みぬいていた父親に殺されたのである。どんなに彼が無念だったことか。彼の母が自殺した時、彼は地獄の底で声をあげて笑ったにちがいない。

 

父が健一を殺害した後に、健一の母は裁判中の父の減刑を求める遺書を遺し、自殺した。そのような悲劇を健一が「地獄の底で声をあげて笑ったにちがいない」と『遺書』に朝倉泉は書いている。

 何が泉の心をこのように捻じ曲げてしまったのであろうか。しかし泉の健一への共感は本物である。

本多勝一の結論らしいものは、以下である。

 

ロボトミー人間として「エリート=コース」の階段を上がってしまった人間こそ、人類にとって憂慮すべきものを秘めている(『子どもたちの復讐』492ページ)。

二人の少年は、民族にとっての大災厄を敏感に嗅ぎとって、必死の警鐘を鳴らしたのであろう(同
494ページ)。

 

ロボトミーとは統合失調症の患者などの前頭葉をメスで切る手術である。

狂暴な症状は治まる場合が多いが、無気力な人間となり、人格をも変えてしまうので、今は行われない。フーコーの「従順な身体」よりも鋭く踏み込んだ現代教育のアレゴリーである。

ロボトミーの手術をされた人間たちは、洞窟の中で縛られた囚人のように、自分たちがどのような状態になっているか見えない。

 

③、酒鬼薔薇聖斗事件      19972月~5月

 

事件の概要は省略する。

衝撃的であったのは、14歳の少年が殺害した小学生の生首を少年の通う中学校の正門において、以下のように書いた紙片を口にくわえさせたことである。

 

さあ、ゲームの始まりです。

愚鈍な警察諸君

僕を止めてみたまえ

ボクは殺しが愉快でたまらない

人の死が見たくてしょうがない

汚い野菜共には死の制裁を

SHOOLL KILL

学校殺死の酒鬼薔薇

(ウィキペディア「神戸連続児童殺人事件」より)

 

マクルーハンのいうように「メディアがメッセージ」なら、「小学生の生首」というメディアは激烈なメッセージである。

また、生首を曝すというのは日本の伝統にそったメッセージの方法である。つい
150年ほど前までの江戸時代には、重い犯罪者は曝し首にされた。

明治になってからの有名な例は、江藤新平(
183474)が大久保利通(183078)によって晒し首の憂き目に会っている。

権力者の「逆らうとこうなるぞ」というメッセージである。朝倉泉も無差別殺人を実行した後、「ざまあみろ」と書いた紙をバラまいておくという計画があった。

 

 SHOOLL KILLSCHOOL KILLERのつもりで、「学校殺死」は「学校殺し」と読むのであろうか。そうならば酒鬼薔薇聖斗は「学校殺し」と自らをアイデンティファイしている。

酒鬼薔薇の『犯行声明』には狂気と妄想がいりまじっているが、「透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐」が犯行の主な動機のひとつだったのは間違えあるまい。

本人が聞けばびっくりするに違いない「深読み」をすれば、「透明な存在」とは、無感覚、無意味、無価値なデカルト座標に数で表されたのっぺらぼうの人間と読める。

 

 義務教育と称し、国家によってすべての人間を9年もの間、特定の空間に閉じ込め、これこれのことを学習せよとする論拠は何なのか。「教育とは何か」が十分には問われていない。

 

 大騒ぎされたにもかかわらずが、酒鬼薔薇のメッセージがよく伝わっていない。

子どもたちの命をかけたメッセージが、真剣には受け止められていない。あまりにも根深いメッセージだからである。

14歳の少年はそれまでの人生を「懲役13年」という題で、以下のようにアフォリズム風に書いている。最後の一行はダンテの神曲から取った、「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた」とは酒鬼薔薇の偽らざる実人生であろう。

 

懲役13

 いつの世も同じことの繰り返しである。止めようのないものは止められぬし、殺せようのないものは殺せない。時にはそれが、自分の中に住んでいることもある。「魔物」である。

 仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、無限に暗くそして深い腐臭漂う心の独房の中… 死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい何が見えているのであろうか。「理解」に苦しまざるを得ないのである。

 魔物は、俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感をあおり、あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺を操る。それには、自分だったモノの鬼神のごとき「絶対零度の狂気」を感じさせるのである。到底、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。こうして俺は追いつめられていく。「自分の中」に…

 しかし、敗北するわけではない。行き詰まりの打開は方策でなく、心の改革が根本である。

 大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思いがちであるが、事実は全くそれに反している。通常、現実の魔物は、本当に普通な彼の兄弟や両親たち以上に普通に見えるし、実際そのように振る舞う。彼は徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わせてしまう… ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみやプラスチックでできた桃の方が、実物が不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、バラのつぼみや桃はこういう風でなければならないと俺たちが思い込んでしまうように。

 今まで生きてきた中で、敵とはほぼ当たり前の存在のように思える。良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破滅させられそうになった敵。しかし、最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在であることに気づいた。そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆け巡った。

 「人生において、最大の敵とは自分自身なのである」

 魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう気をつけねばならない。深淵をのぞき込むとき、その深淵もこちらを見つめているものである。

 「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた」

 

この「懲役13年」の原文の「魔物」の箇所は赤字で書かれているといわれています

(オンラインマガジン風見鶏「酒鬼薔薇事件、点と線」より)

 

プラトンにとって「肉体は魂の牢獄」(『パイドン』82e)である。「洞窟」を『国家』(515b)で「牢獄」に言い換え、「洞窟の比喩」は「牢獄の囚人の比喩」でもある。

 

酒鬼薔薇の「懲役13年」は終りの、ニーチェ『善悪の彼岸』146のアフォリズムに見事に収斂させている。以下は信太正三訳である。

 

怪物と闘う者は、そのためにおのれ自身も怪物Ungeheuerとならぬように気をつけるがよい。お前が永いあいだ深淵をのぞきこんでいれば、深淵もまたお前をのぞきこむ。

 

『善悪の彼岸』146の「怪物」(Ungeheuer「怪獣」とも訳せる)は英語ではmonsterと訳される。

ニーチェは『善悪の彼岸』を書いた約三年後に、『この人を見よ』で「世界史的怪獣」
welthistorisches Untierを自称する。

酒鬼薔薇は「魔物」と化し、二人を殺した。

プラトンの『パイドロス』では、ソクラテスがパイドロスにまだ「汝自身を知れ」ということができていないと告白する。このことが出来ないで「自分に関係のないさまざまなこと」に思いをめぐらすのは、笑止千万なことであるという。

 

はたして自分は、テュポンよりもさらに複雑怪奇でさらに傲慢狂暴な一匹のけだものなのか、それとも、もっと穏和で単純な生きものであって、いくらかでも神に似たところのある、テュポンとは反対の性質を生まれつき分け与えられているのか(藤沢令夫訳『パイドロス』230a)。

 

テュポンとはギリシア神話の人間とけだもののあいのこの巨大な怪物である。プラトンの有名な魂三分説では、「欲望部分」をキマイラのような怪物、「気概的部分」をライオン、そして「最善の部分」を「内なる人間」にたとえている(『国家』588)。

私たちの心の中に「複雑怪奇な怪物」が住んでいる。マックス・ウェーバーによれば、近代とはこれらの怪物たちを静めること、「脱魔術化」Entzauberungであった。しかし、「不思議なこと(ツァウバー)」は決してなくならない。

それどころか人生は全体から見れば、不思議なことばかりである。

なぜ生まれたのか?なぜ死ぬのか?

なぜこうしてものを書いているのか?

なぜものごとを理解できるのか?

なぜこの世があるのか?

 
科学は初めからこうした問いには触れない埒外の問題である。「語りえぬものは、沈黙しなければならない」。


しかし黙っていては教育が始まらない。教育は科学以前の「神々の闘争」に踏み込まなければならない。

教育にかかわる子供たちの犯罪者を異常者として切り捨てるのは簡単である。

それでは正常とは何か。

教育者たちはこの世にうまく適応でき「真っ直ぐな道」をあゆんできた。

急がされ、せきたてられ、アスコリア(暇なし)の教育を受けてきた。

「深淵」から目を背け「心の中の怪物たち」を飼いならすためである。

しかしそれが本当に「真っ直ぐな道」なのか?

幼少の頃から「勉強せい、勉強せい」と言われ、「制度化された価値」の一本道をひたすら駆け上がったのではないのか。

一つの価値を刷り込まれたと言う点では、中世のヨーロッパ人がクリスチャンとなったのと同じ理由である。自立した人間が理性的に考えた結果ではない。

 

 ここで冒頭の問いを繰り返さなければならない。

「教育とは何か」を問うことが、すべての「教育問題」で最も重要であるならば、「教育とは何か」を問うことには、何よりも真剣さが必要となる。

が、真剣さが足りない。悩み方が足りない。「暗い森」に迷い込んだ子供たちのように悩んではいない。

もう一人「暗い森」に迷い込んだ子どもの言葉を聴こう。

 

大塚香生喜15

 

“生きる”生きるという事は、どんなに難しいことなのだろうか。何も考えずに生きる事は簡単かも知れないが、本当に生きるというのは、どこかで必ず戦っている。ある時は生死、ある時は、心の中でかならず葛藤している。そんな風に生きることを僕は“真剣に生きる”ことだと思う。

真剣に生きる人間は数少ない。数は少ない人間は数多いい人間から打撃を受ける。

世の中に必要である筈の人間が、押しつぶされ、その個性が殺されてしまうのだから。 

(『子どもたちが語る登校拒否』世織書房1993477㌻)

 

そうだ、現代の教育に欠けているものは、「本当に生きる」「真剣に生きる」ではないのか。

教育とは子供たちの迷い込んだ「暗い森」から脱出する道を示すことではないのか。

洞窟の外の太陽に向かって、人間の個性を伸ばすことではないのか。

人間の自然(ピュシス)を歪められた別の例。

 

Y・S 14

もとの場所

 

もとに戻りたい

もとの場所に

戻ってもだめかもしれない

戻ってもまた

はずれるかもしれない

私には行き場所が無い

(同291ページ)

 

新谷直子11

 

学校は、学校というわくに、みんなを同じ色にそめようとしている。先生にあったこたえをようきゅうされて、点数で評価される。

自分は自分でなくなると思う。学校にいると、命令されなくては、動かない人間になってしまう。(同390ページ)

 

 本多勝一は『子どもたちの復讐』というタイトルで、初めの二つ、佐藤健一と朝倉泉の事件の本を書いている。

佐藤健一の事件からおよそ
20年後の、酒鬼薔薇聖斗の神戸新聞社に送られた「犯行声明」には「復讐」という言葉が五回出てくる。

 また、「本名を読み違えられた」、「国籍がない」、「透明な存在」、「実在の人物と認めていただきたい」、「ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている」などの言い方は、人間の本来あるべき姿をゆがめられたことを言っているようである。

まさに人間の本性(人間性
human nature)を歪められた「子どものたち復讐」というべきであろう。

 

 

 

次に進む

 

目次に戻る

 

 

トップページに戻る

 

2、洞窟の比喩の意味

 

 洞窟の比喩の意味は、この世の人々は洞窟の中に縛られた囚人のようだというのである。私たちはこの世をありのまま捉えることはできない。

 

 万葉の歌人たちは「うつせみ(この世)」に「空蝉」という字を当てた。空蝉とは蝉の抜け殻である。

日本語には「浮き世」という語がある。「とかく浮世はままならぬ」ものであり、もとは「憂き世」という仏教的な言葉であった。

 

 私たちは迷妄(洞窟)の中に生きている。という内容の表現は仏教の得意とするところである。

十二縁起の第一は「無明(むみょう)」であり、人間の本来的な無知をいう。

日常生活は無明、迷いの世界であり、仏の教えは悟りの世界である。仏教の根本教理とされる四法印(しほういん)のうちの三つ「諸行無常、諸法無我、一切皆苦」は、私たちの日常の世界であり、迷いの世界である。そして第四の「涅槃寂静」が仏の世界である。

 

 ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』は、プラトンの「洞窟の比喩」をフレームとした奇妙な絵画である。

「洞窟と太陽で始まり、洞窟と太陽で幕を閉じる大きな円環をなしている」(村井
則夫著『ニーチェ—ツァラトゥストラの謎』 108ページ中公新書)という。

ただしツァラトゥストラの洞窟は山上にあり、洞窟から下降し、洞窟に上昇する。ニーチェの哲学は「逆転したプラトン主義」(
13267)なのである。

 

 ハイデッガーの言うように、私たちの「かけがえのないニーチェ」は「西洋的思惟の根本運動」(細谷貞雄訳『ニーチェ』上87ページ)のなかにある。

その「根本運動」から現代の教育制度も生え出てきたのである。

 

-1、二世界論

 

 洞窟の比喩は二つの世界を示している。

つまり「魂が思惟によって知られる領域と視覚を通して現われる領域」(『国家』
517b)、「上の世界と世俗」(517c)、「神的なものとみじめな人間界」(517d)、「光と闇」(518a)などと言い換えられている。

これは仏教の「悟りの世界と迷いの世界」、「涅槃寂静と輪廻転生」、「彼岸と此岸」、キリスト教の「神の国と地の国」などに相当する。

 

 二世界論とはヤスパースのいう「人類の基軸となった時代」の主潮であり、倫理的宗教あるいは世界宗教と哲学を総称した便利な言い方である。

 この「二世界論」Zweiweltentheorie(「二世界説」とも訳される)という言葉は、新カント派のエミール・ラスク(1875-1915)の用語(平凡社『哲学事典』「二世界説」)である。

ニーチェは二世界論という語を一度も使っていない。「真の世界と仮象の世界」と書いている。それをヤスパースとハイデッガーが『ニーチェ』という同名の著書のなかで、「二世界論」と言った。

 

パルメニデスから出発して、プラトンを経てカントに至るまでのすべての形而上学は、二世界説として発展してきた。・・・有限者や無常性・生成・時間性・仮象などとしてわれわれの世界の根底に、存在それ自体の世界が、換言すれば、無限性と永遠性、無時間性と真理などとしての世界が存在する。宗教的にいえばそれは神である。

(ヤスパース草薙正夫訳『ニーチェ』下124ページ)

 

「存在者全体をこのように二つの世界へ区別する考え方は、学者用語では《二世界論》と呼ばれている」。「プラトンの哲学はこの《二世界論》に、西洋的思惟全体にわたるいわば《古典的》な刻印を与えた」。

(ハイデッガー細谷貞雄訳『ニーチェ』中82ページ)

 

 「『真の世界と仮象の世界』―この対立は私(ニーチェ)によって、価値関係に還元される」(1238)とするなら、プラトンと仏教とキリスト教にとって、「真の世界」が価値のある世界ということになる。

 

 私たちは日常、生物として、社会的存在者として、徹頭徹尾、価値を志向している。生れてから死ぬまで、純粋に「没価値的」wertfreiであったことは一瞬もない。生きるとは価値を評価することであり、人生とは価値を選択することである。

 理想主義という言葉は、アイデアリズムであり、プラトンのイデアから発しているのが見て取れる。

地下の囚人の住まいより上のイデアの世界を実在と見る。プラトンはニーチェの『善悪の彼岸』「序文」の言葉を逆にすれば、「貴族向きのキリスト教」であり、二世界論の代表者である。

 二世界論は現世を「仮象の世界」と否定する。

が、それは否定的な面だけでなく、この世のどんな権威にも屈しない最も強い生き方が肯定される。殉教者たちの首尾一貫した生き方は、信仰の無いものにも感動を与える。

 

 二世界論は、その時その時を周りに調子を合わせうまく切り抜けるコラケイアー(迎合・おもねり)の術ではない。永遠のかなたに最高の目標が出来る。私たちの人生に変わらない理想を掲げることになる。

 現代の教育は「永遠のもの」への回心を欠如している。

しかし、私たちの死の向こうには「永遠」がある。だから、死は隠蔽する(アリエス)しかない。死をどんなにうまく隠蔽しても、最後に必ず出会う。

古代ギリシア人は不死なる神に対して、人間をトゥネートイ「死すべきもの」と呼んだ。

死に対する唯一の対処法は、永遠にいなくなってもいいような生き方をする事、「これでよい」と言って死ねることである。

ソクラテスのように従容として死を迎えられることである。

 

2-2、 ソクラテス

 

 「洞窟の比喩」で地下の「囚人を解放して上のほうへ連れて行こうと企てる者」(517A)が殺されるというのは、ソクラテスが想定されている。

ソクラテスは「青年を腐敗させた」(『ソクラテスの弁明』
23d24,c)かどで毒杯をあおぐこととなった。教育者ソクラテスが断罪されたのである。

 

教育を職業とし、「徳の教師」を自称するソフィストを否定することによって、ソクラテスの哲学は生れたことになっている。

しかしこの「徳」のもとの言葉「アレテー」はもっと広い言葉で、「眼のアレテー」(『国家』
353b~c)、「馬のアレテー」(同335b)などとい使い方もしている。よく見える眼、早く走れる馬がアレテーのあるということである。

ソフィストたちは人間としてのアレテーを、国家での重要な地位につくための弁論と迎合の術だとした。

ソクラテスとプラトンは「善、美」のような徳と考えた。「徳の教師」といういいかた自体がソクラテスとプラトンの意味のアレテーである。私たちのソフィストとソクラテスの知識の大部分はプラトンを経由したものである。

 

 ソフィスト(知者)に対して「哲学者(知への愛求者)」あるいは「無知の知」(『ソクラテスの弁明』)、説得に対しての「問答法」あるいは「産婆術」(『テアイテトス』)、外面の富や名誉を求めることや「肉体(ソーマ、物体)の世話」(『パイドン』66d)に対しての内面の「魂の世話」(『ソクラテスの弁明』)、単に生きることに対しての「善く生きること」(『クリトン』)、迎合(コラケイアー)に対しての、「馬を目覚めさせる虻」(『弁明』30e)、「シビレエイ」(『メノン』80a84b)、「毒蛇」(『饗宴』217e218a)がソクラテスの立場である。

 

 ソクラテスを際立たせたものは、プロタゴラスの「万物の尺度は人間である」に対しての、「万物の尺度は神である」(ブラン『ソクラテス』29ページ、クセジュ文庫)という主張である。また、ソクラテスは「同時代人を教育するという使命を神からうけているのだとくりかえした」(同38ページ)という。

「教育とは何か」をめぐるソフィストとソクラテスの争いから哲学が生れたともいえる。

プラトンはソクラテスをそっくり受け継ぎ、教育を「この世的なもの」から神への「向け変え」(ペリアゴーゲー)(『国家』518c)と定義した。と同時にそれは哲学(521c)でもあった。

 

ゴルギアスたちの考え方とソクラテスの考え方とはまさに逆のものである。現実政治を基準としてそこから出発してパイデイアを考えるのがゴルギアスたちであり、パイデイアを基準として現実政治にその方向を与えるものでなければならないというのがソクラテスの立場である。パイデイア=ポリティケーでなければならない、そしてそのためにソクラテスは、妥協の道、迎合の道ではなくて、戦う道を選んで、殺されたのである。

(三上 茂 『プラトンの「ゴルギアス」における教育と政治』、インターネット「みこころネット」から)

 

プラトンにとって、人間のピュシスに基づいた教育で、哲学者を育成し、哲学者が王となり、理想国を造る。

ゴルギアスと現代の教育では、はじめに「制度化された価値」、国家があり、それに対する適応あるいは迎合が教育である。

 

 以下は「迎合(コラケイアー)」ということを説明している。

「機を見るのに敏で、押しがつよくて、人々の応待に生まれつきすごい腕前を見せるような精神の持ち主が、行うところの仕事」(加来彰俊訳『ゴルギアス』463a)である。

 しかし、これは現代の偏差値教育の目指す理想像、ビジネスマンの理想といえるだろう。

ビジネスとは
busy-nessであり、「忙しいこと」である。スコレー(閑暇)を理想とした古代ギリシア人の逆である。

スコレーの打ち消し「アスコリア(暇なし)」は、労働、ビジネスであり、奴隷の為すべきことであった。

 「肉体の世話」が「無数の厄介をわれわれに背負」わせ「ゆとりを失う」(『パイドン』66b以下)のである。

産業
industryを興すのには勤勉industriousな人間が必要である。

日本でも江戸時代には日の出を明け六つ、日の入りを暮れ六つとして、一時(いっとき)を約二時間(季節によって変わる)の単位で生きていた(森川輝紀『教育の社会学』7)。わずか150年前にはゆったりした時間が流れていた。

 

 「“ナントカ大学卒”の廃止」(『教育をどうする』岩波書店102ページ)を訴える“ナントカ大学卒”の“ナントカ大学教授”は、実現不可能なことを言い受けを狙う「コラケイアー」の名手である。

 

2-3、洞窟の影としての科学主義 

 

 藤沢令夫(『プラトンの哲学』岩波新書)は「プラトン哲学の『根』にかかわる」、根源的な反対者は現代の「科学主義の支配」だという。

これは「プラトン哲学」であると共に「二世界論」の根にもかかわっている。

 科学と科学主義は別のものであるが、多くの科学者が科学主義者であり、科学と科学主義を混同する。

科学者だけでなく、多くの一般の人々も科学主義者であり、「科学の進歩がそのまま人類の幸福を約束するという信仰」(『プラトンの哲学』
7ページ)を信じている。

おそらく小学校の門をくぐって以来、近代科学の言うところが真であると教えられ続けて来た教育が大きな理由であろう。

 

 「日常の行為はすべてその時代の哲学によって支配されている」(岩崎武雄「『無哲学の時代』の根底にも存している哲学」「無哲学の時代」『現代のエスプリ』791974.2)とするならば、名前のない、意識さえされていない哲学があることになる。

それはあまりにも強固で当たり前であるために名指す必要がない。

哲学がなくなったのではない。逆に、一つの哲学が圧倒的に優勢となり、もはや哲学と名づけられなくなったのが現代である。

 アリストテレスが、「王者の学」「棟梁の学」「第一哲学」を述べた本に名前を付けなかったのに似ている。

あまりにも当たり前で名付ける必要がなかった。『形而上学』と名付けられたのは、アリストテレスの
300年ほど後にアンドロニコスによってなされた。

 

 哲学と名付けられていない哲学の典型を放送大学の教科書、『進化と人間行動』(長谷川真理子、長谷川寿一)の一ページにも満たない「まえがき」(別掲)に見ることが出来る。

主観客観という思考の枠は、近代になってデカルトが切り開いたもので、現代の科学はこの枠組みの路線の先にある。

しかし、デカルトは「われ思うゆえにわれあり」という哲学の第一原理を証明したわけではなく、「神の誠実」(『省察』
6)という禁じ手に訴えたに過ぎない。

 主観客観という自分たちの思考枠に引き込み、自分たちが客観的であるからすぐれているというのは、「三位一体」を知らないといって他の宗教を非難するキリスト教のようなものである。

まず主観客観という思考枠が正しいものであるかを俎上に載せるべきである。そこではじめて、「アリストテレス、ソクラテス、トマス・アクィナス、デカルト」との比較が出来る。

 

 すべての科学は掘り下げると「不可解」という岩盤に突き当たる。

それが形而上学つまりは哲学である。科学自体はその無知の大海に踏みとどまっている。しかし、現代は科学主義という「形而上学」に支配されている。

科学者は「制度化された科学」、「制度化された価値」の下では、居心地のよい場所を与えられ、安住していられる。だからと言って、科学が真であることにはならない。

ソフィストたちはノモス(人為の制度)に迎合することを人間のアレテー(よさ)と考えた。金銭を取り、よいポストを得るための教育をしたのである。

 事実判断も価値判断の一つである。チスイコウモリが血の貸し借りをし、互恵的利他行動をするかしないか。あるいは蓮舫議員のドレスは何色か。というような事実判断も、考えるに値する、時間を割くに値するという価値判断をしている。

 

 40億年もの間、私たちは二重に回転する(自転し、公転する)地球の上で進化あるいは変化し続けて来た。だから、私たちにとって直線的な時間よりも、輪廻する時間の方が自然である。

朝昼夕夜、春夏秋冬、覚醒睡眠、飲食排泄、緊張弛緩など私たちの日常の時間は循環する。

初めと終わりのある直線的時間は、創造と終末があるユダヤ・キリスト教的なものである。この世の終りに最後の審判があり、神の国が到来すると言うのである。

 キリスト教が世俗化したものに、ヘーゲル(17701831)、マルクス(18181883)、コント(17981857)などの直線的な進歩史観がある。しかし、今日、歴史が自由を実現していく過程(ヘーゲル)、あるいは人間性(human nature)を回復する共産主義を実現する過程(マルクス)だと誰が考えようか。「大きな物語」は終わったのだ。

 「神は死んだ」、「明日は死ぬのだ。さあ飲み食いしようではないか」(コリントⅠ 1532)ということになりました。

 それに反し、「神学的、形而上学的、実証的」の三段階をたどり進歩するというコントの支持者は案外多いのではないか。確かに実証科学の時代の私たちは、以前より大いに「飲み食い」できるようになった。

一般の人々も漠然と、「宗教→哲学→科学」という進歩の図式を描いているのではないか。

 『進化と人間行動』の「まえがき」もこの「大きな物語」に乗っている。しかし何に対しての進歩なのか?「進化生物学」あるいは特定の個別科学をどんなに究めてもわかるものではない。

 

 オーギュスト・コントの人生は結末が振るっている。クロティルド・ド・ボーに恋をし、彼女と死別した体験から「人類教」をつくり、クロティルドは人類教の聖女となり、自らは大司教となる。

 コントが文字に書き表した人類の進歩の大きな物語よりも、彼の体験した恋の物語のほうが更によく人類の未来を「予見」してはいないか。

プラトンによれば、恋(エロース)とは「永遠」への憧れであり(『饗宴』
207a)、哲学の原動力である。

 

 もう一つの科学主義の典型は、以下のノーベル賞受賞者の主張である。

 

脳の中で起こっている現象を自然科学の方法論で研究することによって、人間の行動や精神活動を説明するのに有効な法則を導き出すことが出来ると確信しています(『精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』利根川進他、文春文庫)。

 

この「確信」は利根川の「精神現象」であり、哲学である。本人の言葉では「訳のわからないもの」、「幻」である。

 利根川はまず「汝自身を知る」べきである。手始めにいちばん近くの自分の「脳の中で起こっている現象を自然科学の方法論で研究」すべきである。

すると自分の脳を研究する「内なる人間」(『国家』
589b)が必要となる。その「内なる人間」もまた「内なる人間」を必要とし、無限後退に陥る。

 「客観」は「主観」がなければ無意味なものとなる。科学scientia(知)が成立するにはその舞台、意識 conscientia(共通知)がなければならない。

 しかし、「意識とは端役に過ぎない」(ニーチェ遺稿、1888年春、211158)のであり、意識はより大きな文脈、社会的存在(マルクス)、無意識(フロイト)、構造(レヴィ・ストロース)に依存している。

デカルトやカント、現代の教育が前提にしているような、理性的で自律した主体(主観)としての人間などと言うのはフィクションである。

 

 利根川は「私の研究は重大である」という「力への意志」の形而上学を表明したもので、決して科学ではない。この哲学は「偏差値帝国主義」の教育と同根である。

 「ノーベル賞受賞者30人などという、さもしい『国策』」(村上陽一郎『学鐙』2002.3「科学・技術の歴史のなかでの社会」)は科学主義の教育から生え出ている。

現代はさもしい教育がさもしい人間を再生産しているさもしい時代である。

 

諸学問(科学)の範囲が途方もなく巨大化した結果、今日では個々の学者が冷酷な隷役を呪い負わされていますが、これこそが、ゆとりと豊かさと深さの素質を相当に具えた人々までが、もはや自分の身にふさわしい教育と教育者とを見つけられなくなっている一つの主な理由であります。

(ニーチェ西尾幹二訳『偶像の黄昏』1888年、2480

 

科学主義者たちは、「語りえないもの」についてもしまりなくしゃべりまくる。

海辺で遊ぶ子供の純真さを失い、「真理の大海」をつかんだと放言する。近代人のヒュブリスは、哲学と真理という「かくも尊い二人の淑女」に大変な「非礼」をはたらいている(
10497)。

 

 現代の科学者がそれぞれの分野ですぐれているので、「それ以外のたいせつなことがらについても、とうぜん、自分が最高の知者だと考えている」(『ソクラテスの弁明』22d)。

しかし、人間にとってのアレテー、「すぐれているということ」は何かが問題なのである。

 

現代に必要なのは、「客観的なデータ」とか「脳の中で起こっている現象を自然科学の方法論で研究すること」ではなく、キルケゴールのいうように「一人のソクラテス」(『死に至る病』)である。

2400年前にソクラテスが脱獄しなかった理由は、本人がそれを「正しい」「最善のこと」と考えたからで、ソクラテスの体の肉や骨や筋によって説明できるものではない(『パイドン』98)。

だからこそ
2400年後の今日でも教育者ソクラテスは真の教育者であり続けているのである。

 

 近代科学によって人間は動物に戻った。古代の人類の教師たちとは逆に、明晰判明な小さな事実にかかわり、「最善ということには考慮」(『ゴルギアス』464d 465a)しなくなった。

「科学が真である」という漠然とした、しかし強固な信念は「神が世界を創造した」と同じく証明されていない信仰である。

「科学」が何であり、「真」が何であるかを言わなければならない。

私たちが科学主義者になったのは、自律した主体が事実を検証し、理性的に考えた推論の結果ではない。

日本生れのものが米を常食とし、
17世紀のイタリアに生れた者がキリスト教徒となったのと同じ理由である。つまり偶然による。この時代に生れたので、科学の子となったというだけのことである。

 

 哲学の第一の要件は、科学、「分科した学」ではないということである。

哲学は諸科学の「学科相互の間の内的な結びつきと同族的な関係とを」「総合的な見地から」(『国家』531d)、「全体として」(
491c 537c)把握する。 

 ある科学が学ぶに値するか?否か?ということは当の科学によって判断できない。

学校のカリキュラムあるいは大学での科目編成が、学ぶに値することのリストであるとするなら、それぞれの科目によって学ぶに値するかどうかの判断は出来ない。

それはメタレベルの「総合的な見地から」、「全体として」つかんだ哲学によってなされる。ただし、今日その哲学は哲学と名指されることはない。

 

 私の好きな現代科学の比喩は「群盲象を撫でる」(『涅槃経』)である。

盲人たちは大きな象の足とか鼻とかの一部分しか触れない。目の見える人は全体を見る。諸科学は盲人であり、洞窟の中の影を見ているに過ぎない。

仏陀とは「目覚めた人」であり、洞窟の外に出、全体を俯瞰する。

 

 

 

次に進む

 

目次に戻る

 

 

トップページに戻る

 

 

3、結語、「学ぶべき最大のもの」(50a)がそっくり抜け落ちている。

 

現代の教育には、「学ぶべき最大のもの」(50a)がそっくり抜け落ちている。

価値教育、宗教教教育が欠落しているか軽視されている。

比喩として言えば、洞窟の外に出て太陽(善のイデア)への向け変えが全くない。
2400年ほど前のプラトンの「洞窟の比喩」は、ものの見事に現代日本の教育の欠陥を言い当てている。

「教育とはペリアゴーゲー(人間全体の永遠のものへの向け変え)である」。

「教育とは現世を否定することである」。

「教育とは二世界論者となることである」。

「教育とはソクラテスのように生きることである」。

「教育とはよく生きることである」。

「教育とは道徳的世界解釈をすることである」。

現代の教育はプラトンの答えにことごとく反対する。

「教育とは逆向きのペリアゴーゲーである」。

「教育とは現世を肯定することである」。

「教育とは一世界論者となることである」。

「教育とはソフィストのように生きることである」。

「教育とは単に生きることである」。

「教育とは科学的(機械論的)世界解釈をすることである」。

 

教育というものが孤立してあるのではなく、人々の考え方、人間の生き方に依存している。

人の考え方、生き方をはなれて教育はない。まず人の生き方が示されるべきである。

 しかし、教育学では「教育の病の原因である大多数の人々の生き方」(藤沢令夫)までは論じれられない。その論者自身がそういう生き方をしているからである。その時代の哲学の上に乗っかっているからである。

学校化された現代でよく教育された人々の教育批判には説得力がない。

結局は自分の体験が論拠となるからである。生存条件を否定することはできない。

 

古代ギリシア語のパイデイアは「教育」education, Erziehung あるいは「教養」culture,Bildungと訳され、ローマでのフマニタスに当たる。とするなら、humanitasは英語のhumanitiesにあたり、「人文科学」とも訳される。

ところが、科学技術の振興を謳った、現代日本の「科学技術基本法」「第一条」には、「人文科学のみに係るものを除く」と書いてある。

パイデイアと現代の教育という語とは相当の齟齬をきたしている。

しかし、現代の教育とは「魂と身体の全体を永遠のものから生成流転するものへ向け変える」、逆向きのペリアゴーゲーであり、「科学技術基本法」との矛盾はない。

 

学ぶということの根本意義は、今も昔も「魂の世話」(パイデイア)にある。・・・語学や数学や国語などは、所詮は「魂の世話」の予備教育と考えられる。

しかし現代を覆う実利的功利主義の観点からは、この関係は逆になっており、本来、手段であるべき予備教育が絶対視されるから、宗教も道徳もまったく育つ余地がなくなるのである(『世紀』
1985.10「宗教教育の可能性」小野寺功)。

 

教育改革が叫ばれ、多くの人々が大変な努力を払っているにもかかわらず、「偏差値に基づく一元評価の支配体制」(駒林邦男)は強くなる一方ではないだろうか。

「序列化のための評価尺度は教育尺度はコンピューターのはじき出した偏差値一本だけ」(同)という。

その「偏差値帝国主義」に抗議するように
1985216日、杉本治、11歳は、「テスト戦争」という詩を遺し自殺した。以下はその後半部分である。

 

勉強してどうなるのか、やくにたつ、それだけのことだ、勉強しないのはげんざいについていけない、いい中学、いい高校、いい大学、そしていい会社これをとおっていってどうなるのか、ロボット化をしている。こんなのをとおっていい人生というものをつかめるのか。

(「浄土真宗親鸞会ホームページ」より)

 

これと似ているのは、今で言う東大医学部を19歳(?)で卒業し、官僚の頂点にまで上りつめた森林太郎(18621922)の小説のなかの肉声である。

 

一体日本人は生きるということを知っているのだろうか。

小学校の門を潜ってからというものは、

一しょう懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。

その先きには生活があると思うのである。

学校というものを離れて職業にあり附くと、

その職業を為し遂げてしまおうとする。

その先きには生活があると思うのである。

そしてその先には生活はないのである。

現在は過去と未来との間に劃した一線である。

この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。

                    (森鴎外『青年』十)

 

私たちは「いい人生というもの」をつかんだのか。私たちの「生活」はどこにあるのか。私たちは生れてこの方、生きるために、必死で社会に適応する。

「いい人生というものをつかむ」ためである。与えられた環境に適応するため数十年、努力し、自らを変えるのである。

しかし、そこに「悪魔の見えざる手」が働いて洞窟の中に縛り付けられる。

 

古代中世を通じ、教育というものがあったとすれば宗教教育であった。近代市民革命で、世俗が宗教から教育を奪ったまでは良かったが、肝心の宗教教育、「永遠のものへの回心」を脱落させてしまった。

「宗教教育」という言葉がいやならば「価値教育」といってもいい。政教分離を建前に、価値教育をしない。「角を矯めて牛を殺す」ことになった。

 

 しかし、「教科教育が最大の価値教育である」という逆説が成立する。洞窟の影に向かって「人間全体の向け変え」を行うのである。「科学こそ真である」という逆向きのペリアゴーゲーである。

イヴァン・イリイチは、学校が「新しい世界宗教」(東洋他訳『脱学校の社会』「3、進歩の儀礼化 儀礼的ゲームと新しい世界宗教」)となったと言っている。

それも仏教、キリスト教等さまざまな世界宗教のうちの一つの宗教ではない。定冠詞のついた「
the New World Religion」である。このフェティシズム(物神崇拝)の「科学のもたらす無限の報酬」にあずかるには、「学校」の教えに帰依しなければならない。

プラトンによれば人間の魂は三つの部分、「1、理性的部分、2、気概的部分、3、欲望的部分」があるという。『パイドロス』(246b)では、御者が手綱をとる翼を持った二頭の馬、「1、御者、2、よい馬、3、悪い馬」に譬えられる。

現代の「世界宗教」では、プラトンが最下層と考えた「金銭を愛する欲望的部分を魂の玉座にすえ、立派な冠や首飾りや短剣をまとわせて、自分の内なる大王としてたてまつる」(『国家』
553C)ことになった。悪い馬に振り回され、御者はなす術がない。近代はものの見事に「一切の価値の転換」を成し遂げた。

私たちも「神と富」の二人の主人に仕えない。「神か富(マモン)か」(マタイ6;24)の問いは、門前払いというよりも問うことさえ恥ずかしい問いである。

教育の場も自由競争、市場原理といえば聞こえはよいが、つまりは「マモン」、「人間の強欲」にゆだねられる。他の時代の人々が忌避したものである。

 

 宗教からまわりの枝葉を余計目に刈り取ると何がのこるか。

仏陀は「人として歩むべき道を説いた」のであり、「宗教の開祖となるという意識はなかった(中村元『ブッダのことば』「解説」438ページ岩波文庫)。

「神の国」は「心の経験」(13185)であり、ナザレのイエスは「彼が生きたごとく、彼が教えたごとく死んだのである」、「人間を救うためでなく」、「いかに生くべきかを示すために」「実践こそ、彼が人類に残したものである」(『反キリスト者』13186)。後の人々が「やさしい感動的な物語」を多めに付け加えたに過ぎない。

 

 中村元は「西洋における『哲学』および『宗教』」ということばと「他の諸伝統におけるそれらの対応語」の共通分母は「生き方」だという(中村元『比較思想研究』11、「世界の諸伝統における『哲学』と『宗教』の意義」1984)。

ソクラテス(あるいは著者プラトン)の言葉で代表させれば、「人生いかに生くべきか」これ以上真剣なことはない(『ゴルギアス』500c)。

 

 コラケイアーの術さえ覚えれば、教師ほど楽な商売はない。しかしまともに取り組めば「暗い森」に迷い込んだ子供たちのように、身の破滅を招くであろう。

この現在も日本のどこかで、三十数年前の佐藤健一のように、激しい家庭内暴力を働いている子がいるかもしれない。しかし、「親をふるえあがらせる暴力は、子供が強いからやるのではなく、弱さゆえであること、助けてほしいという表現の一つである」(『子供たちの復讐』236ページ警視庁少年相談室副主査 江幡玲子)という。

三十数年前の佐藤健一の文字通り命を賭けた次の問いは親よりも、いやしくも教育を生業とする人々に、向けるべきであろう。

「人生を返せ、青春を返せ」。

 

 

次に進む

目次に戻る

 

 

 

トップページに戻る

 

 

『進化と人間行動』「まえがき」

 

人間とは何か?心とは何か?人間の本性とはなんだろうか?これらの問いは、大昔からの人間を悩ませてきた大問題である。この問いは、古来より哲学の問題であった。アリストテレスも、ソクラテスも、トマス・アクィナスも、デカルトも考えてきた。

では、「人間とは何か?」について考えるとき、考えの材料になるものはなんだろう?自分の人生の過程で得た他の人間に関する経験と、自分自身の心や行動に対する自省は、その重要な源泉の一つだろう。

しかし、このようなデータはすべて主観に基づくものである。主観を離れた、もっと客観的で、主観だけでは気づくことのできない、人間に関するデータはあるのだろうか?それは、科学的な人間研究によるデータである。自然科学は、物理的世界やヒト以外の生物世界について多くの知見を生み出してきたが、ヒト自身に関する科学研究も、この100年のあいだに数多く積み上げられてきた。それらをもとにすると、人間に関してどんな洞察が得られるか、最近の進化生物学の知識をもとにかんがえてみよう。

 

2007年1月                   長谷川真理子  長谷川 寿一

 

 

 

 

参考文献

 

『プラトン全集』 岩波書店 全15巻、別巻「総索引」

ただし引用は岩波文庫などによる。

藤沢令夫『プラトンの哲学』岩波新書

ジャン・ブラン有田潤訳『プラトン』クセジュ文庫

ジャン・ブラン有田潤訳『ソクラテス』クセジュ文庫

本多勝一『子供たちの復讐』朝日文庫 199012

『教育をどうする』岩波書店、とくに内田良子、藤沢令夫の発言

『子どもたちが語る登校拒否』石川憲彦他編 世織書房

イリイチ東洋他訳『脱学校の社会』東京創元社

フーコー田村俶訳『監獄の誕生』新潮社

『ニーチェ全集』白水社(本文中、たとえば「1期3巻140ページ」なら(13140)のように書いた)

『ニーチェ全集』理想社(本文中、たとえば「3巻140ページ」なら(3140)のように書いた)

以下放送大学の教科書

岩永雅也他『心理と教育の巨人たち』

江原武一他『基礎教育学』

辻本雅史他『教育の社会学』

林泰成『道徳教育論』

駒林邦男『現代社会の学力』
和田修二『教育学的人間学』